ニューノーマルと無常識

ニュースで
”ニューノーマル”という言葉が出てきて
とっても違和感があって
これって、新正常の事かな?
新平常の事かな?
悩んでしまった。

リーマンショックの時に広がった
新日常という概念が起点らしい^^
金融用語なので株価の推移や
金融市場の状態の事を正常値か
どうかで見る指標なので
コロナ後の社会を語るときに
ニューノーマルはやはりおかしいですね^^

新日常なら、New Everyday になりますからね^^
金融は専門外なのでぴんと来ないんですね^^

コロナ後には、新しい
生活や、社会行動の基準となる
ものが、変化するという観点からは
新常識の方が、あっているような気もした

言葉遊びなのかもしれないが
社会的変革が起きている
それも人間が作り出した変化ではなく
パンデミックという外的要因での
変化である。

例えば、今までは、会社に出社するのが
当たり前だったし、家で仕事ができるのに
わざわざ、会社まで満員電車で通ってた
社員同士のコミュニケーションの
必要性もある程度あると思うが
その割には快適な環境つくりに
予算をかけられるのは一部の企業で
人生の3分の1近くの時間を過ごす場所が
快適より効率ベースの空間に
押し込められ、どれだけ生産性が落ちていたか
無論、人が見ていないと
何もできない人間の存在も知っているので
会社での監視体制をすべて否定しないが
職種にとって代わってくるだろう

何がいいたいかというと
常識とされていたことが変化するように思う
要は人々の社会行動の認識が変化するってことで
”新常識”の方がしっくりいくかも

なので。”ニューコモンセンス”の方が
いいのではないか、ノーマルが変わるのではなく
コモンセンスが変化するって方が
社会的にはしっくりいくかも

で、新常識は、多様性の中で
これからは、無常識が コモンセンスに
なっていくのではないかと。

非常識ではない
非常識は、常識を逸脱したもので
ルールを守らないことである
ただ、難しいのは、常識は実は
多様性の時代、みな同じではないということだ

しかし、個々の常識はなくならない。
では、なせ 無常識 ?

実は、 無|常識 ではなく 無常|識 である
無常とは、仏教でいう、変化しないものはないという
概念である

平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」
の無常である。

なので、無常 識 とは、常に世の中は変化する
常識さえも変化するという認識を持つこと
なので、常識は、常識ではなく、変化するという
意識を持つことが重要な21世紀ではないかと

気候変動もしかり、パンデミックもしかり
巨大災害もしかり

要は、いままでの常識や、社会を
維持しようとすればするほど苦しむ
人が多く出てくる
もっと柔軟に変化に順応し
常に変化していく必要性がある
価値観の変化も、お金や、国家という概念でさえ
変えていく必要があるという意識をもつこと

これが
無常 識 ではないかと、あさ布団のなかで
おもった、とりあえず書き留めておく~^^

春眠暁を覚えず、まだねむい~^^

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