【偽善】寄付について【独善】

ゆっけです。
クリスマスシーズンです。
良くない思い入れしか無いのでこの時期は息を潜めています。ふんだ

今日は寄付について偏見を述べます。
寄付とは、資本をより平等にする行為の一つで、モノ(お金含む)に付帯する幸福をより大きくすることが出来ます。これにより、総資産は変わらないにもかかわらず、総幸福度が上昇します。

私が持っているPS5は(一緒にプレイする友達がいないので)私を殆ど幸福にしてくれませんが、クリスマスプレゼントで貰ったリア充どもには沢山の幸せを溢れんばかりに振りまきます。ばくはつしれ

冒頭を引きずっているので間を置きます。

お金であってもそれは同じで、語弊を含みながら極端に書くと、お金の価値は人によって変わります。
これはお金というモノに付帯する幸せの大きさが変わるという意味です。

それでは長い前置きを終わらせて本題に入ります。
私は寄付先を決める基準として、どれだけ贈るモノに付加価値がつくかを念頭に置いています。
これは貸し借りであっても、私がお金を貸すことによってどれだけの価値を生むのかを考えることと同じです。
ある人に貸す100円が100の幸せを生むのならば、1万円で50しか生まない人よりも貸す行為の価値があると言えるでしょう。

と、今年の寄付先を考えながら思った事を書いています。駄文失礼してます。

私の寄付は、孤児に対するものが殆どを占め、その他は未来を正しく見据えている(であろう)方に向けて行っています。
余談気味ですが、Twitterでは3年間?で100万ほど?浪費しました。その多くは新しく何かに向かって歩き出している方へや、贖えない痛みを和らげる為に使いました。
逆に、ギャンブルで金銭的に困っている人に対してお金を恵むことは無いです。
これは付加価値の違いであることは誰もが理解できると思います。

話を戻します。
私が日常生活を普通に送る為には、多くの方の力が必要です。私が寄付する行為は、自己のバランスを保ちたいというだだの自己弁護なのだと思います。
但し、結局は巡り巡って、貴方が幸せになる為の一助となることが、私の生きる意味のひとつとなっています。

貴方が幸せに向かって正しく歩むのならば、私は進んで礎になりうることでしょう。

プラス期待値を叩く人を伸ばすよりもマイナス期待値を叩く人を正す方が楽ちんですしね。

戯言でした。
以上、よろしくお願いします。

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