赤と白に散らつく雨粒


私にとってそれが初めての失恋だった。中学時代にも勿論恋愛感情というものはなんとなく持ち合わせていたはずだが、それが上級生の憧れの先輩へ向けている感情と何が違うのかをきちんと説明しきれなかった。

高校に入学して、オリエンテーションで千葉にある牧場に行くことになっていた。その時は出席番号順で適当にグルーピングされた男女数名を班という括りで指定された場所を周回させられた。そのオリエンテーションで同じ班だったのがこの失恋を齎した彼だった。

彼は地元にはいない雰囲気を醸していて、気侭で自由人でラッキーストライクを吸っていた。未成年の喫煙には否定的な私だったけど、彼のそれはどこか妖艶でそうあるべきだなとさえ感じた。
彼とはオリエンテーションを機に親しくなり、GWには後楽園まで出掛けてラクーアに入ってるカフェで彼から僕達が付き合うことが如何に自然かという話をされた。本来なら少し驕った態度だなと感じるのだけど、何故かそれも彼らしいと納得した。その時に私は許容範囲の広域化、という堅苦しい説明で貴方だから許せる様々な言動があって、それは好きだからということと変わりないとはずだと言って付き合うことになった。初めてのキスはその帰りに丸ノ内線の改札に向かう途中の後楽園ブリッジでした。コーヒーと煙草の混ざった味がして宇多田ヒカルのFirst loveを帰りに無性に聞きたくなった。

彼との1番印象だったデートは雨の日は室内に居るべきだけど、朱里とは居たいから美術館へ行こうと誘われて人生で初めてエッシャーの作品で錯視という言葉を覚えた日だ。
彼も決して美術に造形が深い訳でもないし、柄じゃないけど行ってみたら事前知識を持ち合わせない人にも親切な作りだったねと優しく笑う彼の顔とどこまでも傘に刺さる雨音と新国立美術館から乃木坂駅までの外苑東通りを多分この先も私は忘れないだろう。

彼と別れたきっかけは彼の浮気だった。薄々彼に女の影があることは分かっていたけど、それでも知ってしまうと立っていられないほど悲しくて私はそれでもいいから続けたいと自分をどこまでも低く捉えるような発言を咄嗟にしたけど、それは朱里を小馬鹿にしているみたいだから、とそこだけ真面目に私を想ってか面倒になったかそういう言葉で私たちは終わった。

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