「ミスターヴォーカリスト・F」

 最初に彼のステージを見たのは今はない日劇でだった。ぐるっと飲食店があり、地下へ降りると劇場、そんな感じではなかったか。ロカビリーの名残を残し、少しだけひなびたところのあるステージだった、と思う。
 幕が開いて、彼が出てきた途端、隣にいた妹がこちらの袖を引っ張って「ねえねえ」と興奮気味で言った。たぶん憧れていた歌手を初めて見て興奮したのだと思う。兄と妹で同じ歌手のファンになるのはけっこうあることなのだろうか。珍しいことなのだろうか。こちらは冗談で、「あは、こっちの真似をしたんだろ」と言うと妹はムキになって否定したものだ。
 何曲か歌って花束タイムとなり(今は、これはない)、初めての好きな歌手のために用意した花束を持って妹もステージに向かった。ところが渡す段になって、恥ずかしさがまさった妹はうつむいたまま花束を差し出し、そのままきびすを返して戻ってきた。このあたりは、今も変わらない彼女の美点だ。ステージの上でFは、「あれれ、せっかく花くれるのに顔見ないで帰るの?」と笑いを誘った。こういう時の笑いはクスクスとしたもの。
 席に戻って来た妹は思い切り胸をなでおろしていた。
 左とん平がゲストで来ていたので、たぶんいろいろ調べればいつの年のステージだったかがわかるかもしれない。
 その時のステージの白眉は「道化師のように」だった。後年、歌い方を変えて歌ったが、やはり最初に聴いた時が印象に残っていて、右手を振りながら歌う「ララララララー」は忘れられない。
 たぶん、昼と夜のステージがあり、ステージの後は映画上映、という流れだったと思う。今も時々有楽町へ行くと、その当時のことをなつかしく思い出す。
 彼の初めてのメガヒットの「シクラメンのかほり」で思い出すのは、たしか日曜の午前にやっていたラジオの歌番組だった。うつらうつらでラジオをつけるとパーソナリティのロイ・ジェームスが「これは化け物の歌が登場しました。先週の*位から一気に急上昇して何と今週は第一位。。。」たしか、そんな感じで紹介していたと思う。 
 本人はヒットしないと思っていたそうだが、それが生涯一番のヒット曲になるのだから、人生はわからない。この曲のおかげで、アメリカで勉強したいという彼の願いは消え去ったようだったが、また後年のヒット曲「君は薔薇より美しい」を巡るオリヴィア・ハッセーとの出会いがそれを実現させた。
 10年に渡ってのアメリカ生活は、発声法の見直し、新しいジャンルとの音楽との出会い、もちろん新しい人々との出会いを含めて彼には大きな財産になったことだろう。
 ドラマティックコンサートとうたう前は、1部2部に分かれていて、間に幕が降りて休憩時間もあった。その頃のステージでは今あるいわゆる「ヒットメドレー」はなかった。あえてしなかったように聞いている。たぶん、安易に流すようなことはしないぜ、というような彼のこだわりが、その当時はあったのだろう。
 誰かの、安直にヒットメドレーをやるようになってからライブに行かなくなった、というメッセージをどこかで見た。こういうのは本当に人それぞれだ。
 そういう時、ハナ肇がFに伝えていたという言葉を思い出す。「ヒット曲というのは、お前の財産なのだから、大事にしないといけないぞ」というメッセージを。
 席に座る人は、いろいろな人がいる。彼のステージを何度も見ている人、初めて見る人、あの当時の曲をたくさん聴きたいと思う人。
 そういう意味で、色々なファンのことを考えて、ちょっとだけ鼻っ柱の折れたFが、先輩の言葉を胸に刻みながら、気持ち新たにヒットメドレーのある「ドラマティックコンサート」を始めたのではないかと想像する。
 しかし今思い返しても、1部2部が分かれている時のコンサートの最後の数曲はすさまじかった。パワーあふれる人生賛歌が続いた。今も、それは最後にあるが、曲数が少なくすこしさみしい。それでも「さあ、がんばって生きていこうぜ」というメッセージは十分過ぎるほど伝わり、その数曲を聴くのは幸せな瞬間でもある。
 彼は基本的に、人を楽しませるのが好きな人なのだと思う。同じ渡辺プロに所属していたなべおさみがクレイジーキャッツのハナ肇についての本を書いていて、その中で晩年ハナ肇が病床にあった時の逸話を書いている。ちょうど皆がそろってお見舞いに行った時、Fが音頭をとって、「シャボン玉ホリデーのコントをここでやろうよ」と言ったというのだ。どんなふうに実現したのか、しなかったのか。
 女性ボーカルとのデュエットでも、彼の人柄が出るところだ。決して前に出ず、隣に立つ人を引き立てようとする。それは見ていてわかる。だからこそ、彼と歌った女性歌手は歌い終わった時、皆一様に満足感に溢れた表情を見せ、また彼と幸せそうな笑顔を交わし合うのだ。
 いろいろなことに興味を持ち、それを実践していくのも彼の今をつくっている秘密かもしれない。パントマイム、タップダンス、多種の楽器へのチャレンジ。(今クラリネットを吹いているのでわかるのだが、この楽器はリードミスが出やすい。ステージでそれを吹き、ピッと鳴ってその歌が終わった後、あれ、どうしてピーッが出るのかな、と呟いてたが、脚本にないこんな本音を出してしまうのも面白い)
 そしてまた、芸能人らしくない普通の人てきな感じがこの人にはある。有名になると、それまでの普通の交友関係が変わるのは当たり前といえそうだが、最近のステージでの定番「1万回のありがとう」は、昔から続いている友人との会話の中から生まれたそうで、このあたり、むべなるかな、と思わせるところだ。

 たぶん、物語が好きな人なのだと思う。幼い頃小説家にもなりたかったそうだが、そんな気質が歌を歌うようになってからも継続しているのだ。よく彼が歌うシャンソンは、一曲が物語であり、また「愛情物語を観ましたか」「カルチェラタンの雪」などの曲のように、自身の作詞でもそうでなくても、ドラマを見ているように彼の歌を聴く人はたくさんいるようだ。実際に彼は歌の中で演じているのだろう。

 彼の作詞で感じるのは、「カーテン」と「時の流れ」という語彙が多いことだ。夜になってカーテンをおろすとすぐ朝がくる。そうしてまたたくまに一日が過ぎてゆく。時に非情な、時にだきしめたくなるような時のうつろいを彼は色々な表現で伝えているように思う。
 いろいろな人との出会いがあって今のFがある。それは、私も同じだし誰でもそうだ。みんな一生懸命自分の人生を歩いているのだ。
 たぶん来年のステージの予定も決まっているのだろう。はたから見ると追いたてられているようで大変だなあ、と思う。
 先日も「日劇で初めて彼のステージを見た親友」でもある妹と彼のステージを聴きに行き、帰りの電車の中で、前と変わらない声出てたね、と話した。よくテレビでは「マイウェイ」を歌う機会が多いが、これは若い時にレコーディングし、コンサートの最後にずっと歌い続けてきた曲だ。年数を重ねるうちに歌い方も変わり、次第に年輪を重ねた多様な趣きといったものもこの曲の表現に加わるようになってきた。
 今後、どこまで歌っている彼を見られるかわからないが、シャルルアズナブールやトニーベネットの例もある。それを信じて、Fにエールを送ろう。

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