「黒と白の世界」


 一冊の画集がある。タイトルは「黒と白」。<異邦人>は19世紀パリにうごめく雄弁な黒をとらえた、と帯にあり、その帯も黒字に白文字。もちろん表紙周りもその2色だけだ。
 作者はバロット。1925年に60歳でその生涯を終えるまで、彼は当時のパリの様々な世界を木版画で描き続けた。
 どうしてこの世界に魅かれたのだろう。
 小学生の頃、版画が大好きだった。危なっかしい手つきで先の尖ったそれで平面を徐々に削り、一番最後に思い描いていた頭の中の世界が一枚の紙に描き出される。いや、決して思った通りにはいかなかったろう。それほど技術が伴っているはずがなかった。でも、できあがったそれは、とりあえず形にできた満足感を伴うものではあった。
 もっと言えば、ずっと前の原点は藤城清治であったかもしれない。母親が買っていた当時の「暮らしの手帖」の巻末に毎号、彼の影絵のような世界が添えてあり、子供心になんとも不思議な感覚でその世界に魅かれていたからだ。
 彫刻等を持ってとなると随分と作業が煩雑になり、黒のボールペンでの絵を時々描いている。何となく自分の中の絵心を開放させたい気持ちがあるのだろう。同じ黒でも、今はそれぞれに色合いの違う種類があって、これも楽しい。出来上がったものはお世辞にも上手とは言えず、人には見せられないものだが。
 大家による黒と白だけの二色だけの世界は、水墨画の一つを想像してみればわかるように、黒と白の間にある微妙なニュアンスの多重な色合いは、それこそ多彩な色を駆使した芸術とは全く別次元の世界だ。これはもう趣きそのものが違うのだ。 
 先日、マイケル・ケンナの写真展を観た。日本に魅かれた彼は、何度も来日し、そして様々な地でその自然の世界をモノクロ写真におさめてきたという。
 墨絵の世界と共通の魅力を彼の写真に感じ、歩を進めながら繰り返し幾多の写真の前でその世界に魅き込まれた。ずっとその場を離れられずにいたのは、北海道の雪原で撮られた一枚だった。白い空、雪に覆われた白い大地、そこに小さな鶴が一羽いて、嘴を地につけている。尾と足と、そして地につけた嘴だけが黒い。
 本当に単純といえば単純なその構図の写真に惹かれる自分が不思議でもあった。
 そして、小学校の頃の版画や、藤城清治の影絵や、バロットのパリ世界や幾多の墨絵が思い返され、改めて絵とか写真とかのジャンルを超えて「黒と白の世界」に魅かれ続けている自分に気づいたのでもある。
 この「魅かれる心」をどう解消しよう。どうもボールペン画だけでは解消できそうもない。かといって、筆を買い、墨を擦ってとなるとけっこうな作業になる。何と言っても墨絵は難しい。あまりの下手さ加減にもうすぐにでもやめた、ということにもなりかねないか。
 とりあえず、誰かの真似をしてモノクロ写真でも撮ろうと思うが、はてさて題材は?なんてこと考えていると、どうにも寝れそうになくなってきてしまう。

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