紀行文「南インド、そのまろやかな」9

カーニャクマリ(1)
 トーストとティーの朝食を食べ、フロントでチェックアウト。一泊ツインで350ルピー。あの熱気のよどんだ部屋を考えるとやけに高く感じられる。「どうだったい?このホテルは?」みたいな調子でホテルボーイのコピナ君が人なつこい笑顔をふりまいてくる。「いやあ、忘れようにも忘れられないよ、このホテルのことは」とはほんとのこと。
 10時発のバスに乗り、カーニャクマリまでざっと5時間半。これで運賃は54ルピー。新しい客が乗車すると、大きなチケットケースを抱えたヒゲの車掌が運賃を受け取る。日本の路線バスと違い、インドではこの車掌が権限を一手に引き受けて一人で仕切っているように見える。
 乗車口側の天井近くから前方までひもが渡してあり、鈴がついている。降りる客がいると車掌がこのひもを引く。チリン、チリンとなんともかわいらしい音がして、その合図を運転手が聞いて停車するなんとも原始的な仕組み。
 席は指定席ではないのだが、おまえはあっち、おまえはこっちと時には座る席の指示までする。威厳をもって仕事をしている雰囲気たっぷりなのだ。各席の後ろにはペンキで番号が書いてあるのだが、乗車口に一番近い席の後ろには「conductor」の文字。ここが彼の定席のようで、確かに雰囲気はコンダクターにふさわしかった。
 鉄パイプの上に薄い皮張りシートだけの席はお世辞にも乗り心地がいいとは言えず、もちろん立っているよりはましにしても、病み上がりの体にバスの振動がびんびん、どかどかと響いてくる。窓から吹き込んでくる風は、酷暑の中でそれなりに快適なのだが、目に見えないのは幸せというもので、かなりの排気ガスや砂埃や色々なものがその風に紛れている。途中の休憩所で顔を洗うと、あきれるばかりの煤が手拭きにこびりついている。まだインドへ来てから一度も洗濯していないズボンは早く洗ってくれと悲鳴をあげているようだ。
 カーニャクマリはインド大陸の最南端に位置する。コモリン岬、の名前のほうが一般に通っているかもしれない。インドに数ある、ヒンドゥー教の聖地のひとつだ。
 バスを降りて、とりあえず海の方へと歩いていると、「どこ行くんですかあ?」とキャンディーの棒をなめながら童顔の女の娘が近寄って来る。言葉を交わして日本人のツーリストだとわかったが、「それじゃあねえ」と分かれ道を去っていく後姿はどうもへんてこりんな風。どう言ったらいいのだろう、旅が旅ではなく、もう日常の範疇になりかけているような感じなのだ。
 どこへ行っても日本人のツーリストはいて、それはここインドでも同じなのだが、他の国で会うツーリストとは明らかに雰囲気が違う印象を受ける。日本という衣装をあえて脱いで、どっぷりとこの地の空気に同化しているような感じを受けるのだ。どこかで、バスに乗る日本人の女の子を見たが、その娘は大きめの半透明のゴミ袋をバッグ代わりにしていた。セキュリティーは大丈夫なのかとこちらが心配になるほどだったのを覚えている。
 ひと頃、ヒッピー達の間でインドブームが巻き起こったことがあるが、昔も今も外の国にはない「なにか、特別なもの」を求めてこの国を訪れる人達の共通の特徴のひとつでもあるのだろうか。
 自分はというと、「自転車泥棒」を観て映画監督の道に進んだという、サダジット・レイの「大地の歌」や、藤原新也の「印度放浪」に触れ、いつかインドへ行ってみたいと思い続けていた。もっとずっと若い時にこの地を訪れていたら、私も彼らのようにどっぷりとインドの地に同化していたのだろうか。
 他人のことを好き勝手に観察している一方で、こちらだって観察されているだろう。ほとんどが若いツーリストの中で、いい歳のオッサンが二人、暑さに負けそうになりながらデイパックしょってえんやこら歩いているのである。いつまでこんな旅ができるかねえ、とはN君との会話でよく口をつくせりふだ。
 さあ、もうすぐ海だ。

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