「『てんびんばかり』そして、自分を保つということ」


 大学の講堂に作家の五木寛之が講演に来て、その歌手について触れた。まだ世に出てはいないが、彼は本気で歌を作り、そして歌っている、と。すぐレコードを求めた。そして最初に聴いたのが「てんびんばかり」だった。当時、大体一曲3分が相場なのに、その曲は10分近くもあった。色々な人がそれぞれの立場で色々なことを言う。こっちが正しいと声高に叫ぶ。または朗々と自説を主張する。一体どっちが正解なんだい。自分は何もわからない。ごまか さないでよ、どこかに真実があるはずじゃないか。てんびんばかりは、重たい方へ傾くはずじゃないか。それなのに、どうしてどちらへも傾かないんだ。いろいろな身近な例を挙げながら、彼はひたすらそのことを唄うのだ。
 生のステージで聴いた、弦が切れんばかりに汗を飛ばしながらの「何かいいことないかな」もすごかったが、やはり今、この「てんびんばかり」について触れたい。何故って、SNSとかが全盛で、皆が自分の意見をあたかも正論であるかのように安易に声高に主張し誰かを攻撃する、そんな時代だから。あるポピュラー歌手がオペラに挑戦すると、発音も発声も聴くに堪えないと批判。あんな選手メジャーで通用するはずないのにバカだね。二刀流に挑戦?ふざけてるんじゃねえよ。この程度のネタならまだいいかもしれないが、ことが誹謗中傷、苛(いじ)めの範疇になったり、政治などの社会生活に関わる話題になってくると、ただひどいなと感想をもらすだけでは済まなくなってくる。それが原因で自殺を誘発なんてことになれば、これはもう立派な社会問題だ。本人はただの憂さ晴らしのつもりなのかもしれないが、される方は堪らない。今はそういう憂さ晴らし的なものが溢れすぎている。

 もし何かあっても、自分というものをしっかり持っていたい、といつも思う。だがそれは、けっこう大変な作業になる。左(ひだり)から、右(みぎ)から、それぞれがそれぞれの立場から主張するが、手前の都合悪いところは隠して、都合のいい情報しか出さない。マスコミでもそれは同じだ。我々は限られた情報で自分の意見を決めるしかない。政府にしても、都合悪いところはその情報を隠す。そして選挙時、ムードにより投票行動が決まることもあり、政党はそのムードを作るために何かの名目で金をばらまいたりもする。ことほどさように民主主義とは維持するのがとても骨の折れるシステムだ。

 大学生の時、学生運動の波が去ってかなり経ち、民青が細々と活動していたが、ある時デモに誘われた。「申し訳ないけど、みんなで同じことを言い、みんなで同じように歩くのは、それがどんなに正しい主張でも僕には抵抗あるんです」と答えて断った。そういうのは、何故か自分にとっては居心地の悪いことだったのだ。「そういういい加減なことではこれからの日本はだめだ」とその人は返してきたが、場合により適度ないい加減さが必要な時もある。
 ただ、それでは自分は左右のどちらに与(くみ)するのか、と問われると返事に困る。「わからない」と答えるしかないからだ。左の意見、右の意見、どちらも自分の都合いい事象だけを取りあげて説明されるので、左の意見を聞いてはそうかなと思い、右の意見を聞いてはそうかな、と思ってしまいがちだ。で、結局どちらにも組しない真ん中にいることになる。本当はそのことについての情報を不足なく全部机の上に並べ、その上で時間をかけて自分の意見を決められればいいのだが、その情報が足りなかったりで、なかなか骨の折れる作業だ。ひとつだけ、若い時ほど反権力の思考が強く、年齢を重ねるごとに保守的な考えになっていく傾向は誰にでもあるようではある。

 そして「てんびんばかり」に戻る。この歌で、河島英五は「てんびんばかりは、重たい方(つまり真実)へ傾くはずじゃないか。それなのに、どうしてどちらへも傾かないんだ」と唄っている。真実を探しながら、それでもどちらへも組することなく、真実を探求し続ける姿勢こそが自分の立ち位置なんだという主張をあの歌に込めていたのでは、と今は理解する。
 色々なことに影響されやすい人間という動物にとって、自分の立ち位置を保ち続けるというのはけっこう大変なことかもしれない。自分の持っている情報というのは限りがあるので、それを日々更新し、そしてその上で自分の意見はと自問する。
 今回は例として「左」「右」のことを挙げたが、自分の意見を求められる事象はたくさんある。
 人は生まれた時から刷り込みが始まり、必ず何かに影響されている。そうでなければ、その国でその国の一員として生活できない。そういう中でも、自分は自分の立ち位置を模索し、そして自分を保っていきたい。

 英五は48歳で亡くなった。今さらながら、その若さでの死に驚く。旅をし、家族を愛し、酒を飲み、そして歌を作り、歌い、充実した人生だったのだろうが、いかにも早すぎた。「ベナレスの車引き」「晩秋」その他、巷でヒットした以外に名曲はたくさんある。「てんびんばかり」について言えば、後年、社会の変化や新しい社会事象に合わせてどんどん新しい歌詞を加えバージョンアップしていた。今の時代、もし彼が生きていたならどんな歌詞を付け加えていただろうか。それが聴けずに、残念だ。

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