「ドボルザーク 弦楽四重奏曲」

 ずっと前からドボルザークの交響曲8番と弦楽四重奏「アメリカ」が好きで聴き続けてきた。少しだけエキゾチックなメロディーに魅かれ続けて来た。
 ポストにコンサートの案内があり、その好きな弦楽四重奏がプログラムにあり、前から一度行ってみたいと思っていたホールだった。K線とJ線の間にあるそのホールは、客席わずか100ちょっと、弦楽四重奏専門をうたっているホールだった。
 当日はもう豊かな気持ちで音楽に酔いしれた。前から2番目、強いて不満は端でなく、端から2番目ということぐらい。ところが、途中、気持ちよく音楽に浸っていると突然右の方からコツンコツンと肘を突いてくるではないか。人が気持ちよく聴いている時になんだこれはと、「何ですか、やめてください」と小声で相手に告げた。 
 そして、その後は何もなく、少しのマイナスはあったものの気持ちよく弦の音色に酔いしれ、拍手を送り会場を後にした。ふと見ると、誰かが誰かに頭を下げお礼をしていた。「先生、今日はこんな所まで本当にありがとうございました」そして頭を下げられていた相手は、先ほど肘を突いてきたあの人だった。 
 その時はその時で終わったのだが、しばらく時が過ぎてから、あの場面を思い出し、実はあの人は遠慮しつつこちらにイエローサインを送っていたのではないかと思い至った。本当のところはわからない。何故そう思ったかというと、自分の癖を思い出したからである。気持ちよく音楽を聴くと、体が動き、音楽に合わせて揺れてしまうことがよくあるのだ。
 前に団体の席で音楽を聴いている時、「体揺れてるけど、だいじょうぶ?」と後ろにいる知り合いから声をかけられた。体の不調を心配してかもしれなかった。それはただ音楽に浸っての体の揺れだったのだが。
 その「だいじょうぶ?」という言葉と、先生と言われてにこやかに会場を去っていった人がコツンコツンとこちらを突いてきたこととが、何故か自分の中ですっきりと腑に落ちた。
 前に何かの書籍のエッセイで読んだ話だ。年配の夫婦が二人で音楽を聴きに行き、男のほうは慣れないクラシック音楽についつい寝てしまい、いびきさえかいてしまった。休憩時間になって、隣にいた若い男が「おじさん、せっかくの音楽がだいなしだよ、バカヤロー」と言って去っていった、というのだ。続きがあって、そのまた隣にいた人が「気にすることないですよ、寝るほど音楽が気持ちよかったということなのだから」と言ったという。たぶん、これを書いた人は後の人の言葉を自分の過失の免罪符としたかったのだろう。
 もちろん若い男の乱暴な言い方を認めるわけにはいかないが、でもその後に付け足したことはやはりあくまでも言い訳だ。された方、したかもしれない方の両方の立場を知っている身から言うと、やはり迷惑をかけることはマイナス以外の何物でもないのだ。
 今、コロナ禍で大変な時だ。自主警察なるものも出現し、それぞれが疑心暗鬼になりながら不自由な時を過ごしている。大切なことは、自分の主張だけでなく、そっと相手の立場を思いやること、なかなか難しいのかもしれないが、そんなことを明日からの自分の自戒としたいと思う。そして、これから氷のグラスにバーボンを落として、ドボルザークの弦楽四重奏を聴こう。


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