「白塗りのマイム」


 体全身を使う芸術はバレーやダンスが筆頭だろうか。その中で、もっと脚光を浴びればいいのにと思っている芸術がパントマイムだ。有名なところでは、まるでそこに壁があるような動き、はしごを上る動き、持っているカバンを誰かに引っ張られる動き、強風の中を風に押し戻されながら歩く動き。パントマイムと聞くと、そんな動きの数々を思い描く方が多いのではないだろうか。

 日本にも世界にもパントマイマーはいるが、パントマイムそのものを芸術にまで高めた人といえば、一人しかいない。そう、マルセルマルソーだ。チャップリン映画の影響が大きいと言われ、確かに似たような動きがあるのは確かだ。また後年、マイケル・ジャクソンは「ムーンウォーク」の動きのヒントをマルソーのパントマイムから得たという。

 幸運にもずっと前に彼の舞台を見ることができた。Y市の古い木造りのホールで。もう何年前になるのだろう。彼の来日公演の記録を辿ればわかるだろうか。闇の中に白塗りの顔が現れ、やがて照明が彼の動きを照らし、確か雪が舞う中で彼は両手を広げていた。きちんとストーリーがあり、音楽に合わせて一人でそのドラマを演じていた。

 ナチス関係の映画は枚挙にいとまがない。アンネ関係だけでもたくさん作られている。舞台もシチュエーションも様々にわたる。中にはナチスの高官の息子が鉄線越しに中のユダヤの子供と仲良くなり、穴を掘り中へ入り遊びのつもりでお互いの服を取り換える。最後は間違えられてユダヤの子としてガス室へ。行方不明になった我が子を必死で探していたナチ高官は息子の跡を辿るも一歩遅し、という変化球の映画もあった。実話をもとにしたものが多いのがナチス関係の映画なのだが、まさかこれは実話ではないと思うのだが。

 そして先日、久しぶりにこの関連の映画を観た。「沈黙のレジスタンス」という映画で、邦題であるこの題名に「沈黙」という言葉を入れたのは頷ける。なぜなら、主人公のモデルは例のマルセルマルソーで、彼の若い時の史実を基にしているということだからだ。

 よく史実に基づいた映画、という宣伝をされる。問題はどこまでが事実で、どこからが虚構かということだ。観る側は、史実に基づいたと聞くと、ある程度事実だろうと思うだろうが、中には全てホントと勘違いする人もいるかもしれない。水俣病訴訟側にとってイコンとも呼びうる「入浴する智子と母」の写真撮影の場面が白眉の映画「MINAMATA」は、ジョニー・デップ主演で評判になったが、これも真実に基づいてと謳っていた。しかし、主人公のユージン・スミスを英雄化するために、実際はなかった挿話を多数挟み込んでいた。どこまでそれが許されるのか、許されないのかは微妙な問題だが、どういうキャッチフレーズでその映画を宣伝するかは、プロモート側の良心に任せるしかないというのが今の現状かもしれない。またあまりに事実改変が多い場合は「史実にインスパイアーされて作られた」とでもした方が良心的かもしれない。とまれ観る側の心構えも必要ということなのだろう。

 さて、「沈黙のレジスタンス」なのだが、この映画の監督自身がホロコースト生存者の子孫で、マルセルマルソー本人が決して自らつまびらかにしなかった過去の逸話を知り、マルソーと一緒にナチに対するレジスタンス活動をしていた従兄弟に時間をかけて丁寧に行なった取材が、この映画の基になっているという。取材時、その従兄弟は100歳をとうに超えていたというから驚きだ。

 レジスタン活動の中で、マルソーは両親をナチに殺された子供たちの世話を、そして安全な場所へ逃がす手助けをしたという。その過程で、彼のパントマイムの力がうちひしがれた子供たちの心を癒す助けになる描写がある。現実にも同じことがあったなら、それが後年の彼のパントマイマーとしての導火線になったと考えたくなってしまう。

 ナチス関係の中でも、ヒトラー暗殺を巡る映画も複数作られており、これがまた現実の出来事を踏まえているという。市井の人が、またナチ中枢にいる人が、あのナチズムの嵐の中で自(みずか)らの信念を貫いた。ちょっとした偶然でそれは成功しなかったが、もしそれが成功していたなら歴史は色々に変わっていたことだろう。
 アンネは生き続けて、「アンネの日記」は世に出なかったかもしれないし、シンドラーの、そして杉原千畝の物語もなかったかもしれない。

 「たら」「れば」の話はしてもしかたないと思いつつ、それでもいろいろと想像してしまうのは人間の性(さが)だろうか。
 久しぶりにその名を思い出させてくれた映画から色々なことが頭の中を巡ってしまった。

 若い頃の自分の歴史を封印し、そして中世からの道化師の、そしてチャップリンに至る白塗りの伝統を守って自らの芸を極めたマルセルマルソーに心からの拍手を送りたい。

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