「朗読の力」
前に「この声をきみに」というNHKのドラマがあった。主演は竹野内豊で、話すことが苦手で、聞き手のことを理解しないでひたすら自分のペースで数学の講義を続けるような主人公が、小さな朗読教室に通ううちにしだいに「声の力」に目覚めていくというストーリーでとても面白かった。劇中でとりあげられた作品も多種多様で、谷川俊太郎、萩原朔太郎、中原中也、吉野弘などの詩人の幾多の詩、それに小説や歌の歌詞と多岐にわたっていた。
朗読を聞く機会というのは誰にでもあって、一番身近なのは、幼い頃両親が読んでくれる絵本というのが相場であるだろう。けれど、「朗読を聞く」あるいは「朗読をする」という行為自体は成長とともに極めて少なくなるかもしれない。それこそ、趣味の一つとして、例のテレビドラマの主人公のように朗読教室に通ったり、舞台で朗読を発表する機会のある人はいるかもしれないが。
今はyoutubeにも様々な朗読作品があって、手に取ろうと思えば簡単に楽しむこともできる。中に詩の朗読もあり、高村光太郎の作品を目にして思い出した。「智恵子抄」が好きで、子供の頃よくそのなかの作品を声を出して読んでいた。木村功が光太郎を、佐藤オリエが智恵子を演じたドラマを見て惹かれたのだ。「レモン哀歌」と「あどけない話」が特に好きで、後者は短いから今でも諳んじることができる。そして、朗読する時、いろいろ言い方を変えると、少しずつその世界も微妙に変わることも知った。
歌で自分の世界を表現するのと同じくらい、朗読でそれを表現するのは難しいかもしれない。我々はプロの歌い手の歌を聴いて感動する。同じように上手な朗読は時に歌以上にこちらの心に飛び込んでくることもある。
昨年、所属する合唱団の演奏会で、昭和の歌のステージを設け、歌の紹介を担当することになった。単なる歌の説明では芸がないので、その歌の世界をかみ砕き、短い文言を捻り、そしていろいろ言い方を変えて練習した。目的は一つで聴いている観客の心を少しでも動かすことである。少しでも動いてくれれば、あとはそのまま歌の世界にスッと来てもらえるからだ。
観音崎灯台での勤務を皮切りに、幾多の地でおまえはわたしを支えてくれた。戦争もあった。息子の死もあった。ともに過ごした喜びと悲しみが目に浮かぶ。そして今、こうしてカイロへ向かう娘を見送ろうと二人で灯台の明かりをともしている。この仕事を続けてこられて本当によかった。この幾年月、ありがとう。ほんとうに、ありがとう。
「喜びも悲しみも幾年月」
久しぶりに、この丘へ来ました。もうすっかり時が流れたけれど、今でもここに咲いていたあの時の桜を覚えています。あの時も今と同じように汽笛の音が聞こえていました。ここまで時が流れてしまえば、もういい思い出しかありません。だから、ちらりちらりと舞う花を見つめながら、少しだけあなたのことを思い出させてください。
「港が見る丘」
今でも胸に残る甘酸っぱい記憶。学生服のボタンを外し、不良を気取っていたあの頃。それなのに、君の前では、何も言えなかった。俺の中では、君や学友はあの当時の若いまま。おおい、元気でいるかあ。ああ、もう一度戻れたらなあ。今でも思い出す。校舎を染めていた、あの赤い夕陽を。
「高校三年生」
荒野に向かう道よりほかに見えるものはない。この道を進むしかない私を、さだめの星たちよ、どうぞ照らしておくれ。我は往く、青白き頬のままで。木枯らしは鳴き続けるが、わが胸は熱い。そして、また夢を追い続けるのだ。名もなき星たちよ、こんな私をどうか見守り給え。いつの日か、誰かがまたこの道を往くのだろう。その時まで、どうか見守り給え。
「昴」
気持ちを込め過ぎて大袈裟になってもだめだし、適度な抑制の中で、微妙に間を取り、抑揚をコントロールすることに徹して練習した。当日、どこまで成功したかは不明だが、きちんとなされた朗読は歌と同様場合によっては歌以上に観客の心を動かすことができるはずだ。
例のドラマの主人公のように、どこかの朗読教室へでも通ってみようか。そして久しぶりに「レモン哀歌」のページを開いて声を出してみようか。
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