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現役生活の終わりに ~新たな人生の挑戦~

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満開の桜がアジアリーグシーズンの終わりを告げるーー。
韓国に住んでいた頃、シーズンが終わり東京に帰省すると、いつも満開の桜が僕を迎えてくれた。
いつもであれば、そのシーズンの反省、次のシーズンへの期待を胸にオフシーズンに入るが、今年は違う。

先週土曜日、プレーオフファイナルの敗戦をもって、僕はプロアイスホッケー選手を引退した。
敵地韓国アニャンで響いた試合終了までの観客のカウントダウンは、まるで僕の現役生活終了までのカウントダウンのように聞こえた。

いつかはこの日が来ることはわかっていたし、自分で決断したことではあるが、これまで追い求めてきたことに区切りをつける瞬間は、やはり寂しさの方が大きい気がする。
込み上げてくるものを抑えることができなかった。

7歳の時、4つ上の兄が小学校の友人に誘われて西武ホワイトベアーズでアイスホッケーを始めた。
母親に連れられて東伏見のリンクに通う日々が増え、一緒にやることを勧められたが、当初僕はなかなかアイスホッケーを始めようとは思わなかった。
そんな中、僕と同い年の子供がアイスホッケーを始めたことを聞き、ならばと思い僕もアイスホッケーを始める決心がついた。
(その子が菊池秀治でした)

東京で生まれ育った僕は、同じ小学校や近所にアイスホッケーをやっている子供など皆無の中、周囲には少し変わったスポーツをやっている子供だと認知されていたことだろう。
他の子が野球やサッカーに夢中になるように、僕はアイスホッケーに夢中になり、大好きになった。

地元東伏見は、日本リーグの実業団チーム、西武鉄道の本拠地だった。
幼い頃から西武鉄道の試合は毎試合欠かさず観に行った。
当時は日本リーグが6チームあり、東伏見ではしばしば6チームの集結戦が開催されていた。
1日に3試合も実業団の試合が行われるその日は、どんな遊園地に行くよりも楽しい時間だった。

初めて背番号70番をつけたゴールキーパーを観た時は衝撃だった。
いつかあんなかっこいいプロアイスホッケー選手になりたい、そんな夢を本気で抱き、そのためにもっと上手くなりたいと思った。
(その選手が芋生ダスティ氏でした)

幼い頃に描いたその夢は、少し形は変わったが、実現した。

実現するために努力したことなんて何もない。ただ、もっと上手くなりたい、その気持ちだけで、大好きなアイスホッケーを夢中になってやっていた。

その気持ちは、アイスホッケーのプロ選手になり15年が経ち、最後の瞬間まで変わることはなかった。
僕は最後の最後まで、どんな環境に身を置こうとも、向上心を失うことはなかった。最後まで、自分自身、自分のプレーと向き合い続けた。
大きな功績を残せなかった僕だが、それだけは胸を張って誇れることだ。

どうしてもなりたかったプロアイスホッケー選手。
アイスホッケーを追い求め続けた日々。アイスホッケーと出会ってからの人生は本当に幸せだった。アイスホッケーと出会っていない人生が想像できない。

アイスホッケーを通じて関わることができた人たち、経験したこと、学んだこと、それは僕が持つ何ものにも代え難い財産だ。

きっとこれからも僕は、アイスホッケーに関わるであろう。
僕の中には、思い描く景色がある。
いつの日か、かつての幼い頃の自分が抱いたように、
「プロアイスホッケー選手になりたい。」
そんな夢を抱いた子供たちが、安心してアイスホッケーに夢中になれる環境を日本に作りたい。

その道のりは険しいだろう。
それでも、選手としていかなる困難にも立ち向かうことができた僕ならば、実現できると信じている。

あの日アニャンのリンクで響き渡ったカウントダウンは、僕の新たな挑戦のスタートの合図だ。

まだ寒さが残る北海道。
これからまた、桜が満開になる季節が訪れる。



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