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「日本カメラ」休刊の報に接し(記事の一部は書き換え更新します )

 「日本カメラ」の休刊は、写真家のTさんが「写真表現に関する1つの時代の終焉」といわれた通りだと思っています。90年以後、アサヒカメラや日本カメラは「カメラ雑誌」と呼ばれるようになりました。しかし、私などはずっと「写真雑誌」として、時代時代の写真表現の舞台としてとらえ続けてきました。
 先日、私の写真展にお出でいただいた立木義浩さんの「舌出し天使」(1965年・カメラ毎日)がそうであるように、最先端で広告写真の仕事をされているスターでも、こんな斬新な表現の作品を「写真雑誌」で発表するのだということにびっくりしたのは、まだ私が高校生の頃です。ここで写真を発表することを夢に見ていました。
 さらにその後、須田一政さん、鈴木清さん、土田ヒロミさん、、、、、すぐ近くにいる写真家たちの写真雑誌での新作はいつもドキドキしながら見せていただいた。そして私も頑張ろうと思ったものです。ここでカメラやレンズの記事を書くことも勉強させていただきました。写真論や写真批評についても考えるきっかけをいただきました。写真を数ページにわたり組むことも。人様の写真を選び、講評を書かせていただくということも学ばせていただきました。日本カメラでは1980年の6月号で初めて数ページ作品を掲載していただきました。多くのみなさんが、カメラ雑誌に育てられたといいますが、私の「仕事」の大半はずっとここにありました。したがって、「写真雑誌」がなくなるということは写真家としての舞台、表現の場の一つが終わったと捉えるしかありません。それは案外深刻ですし、死活問題でもあります。

 「いやいや、今はもう、そんなの古いのよ。カメラ雑誌ってつまらん。発表の場なんていくつもある! ファッション雑誌だっていいじゃん! 写真は海外で十分売れるし、カメラ雑誌なんかにこだわったって、、、、金にならんし」という人もいそうですが、この写真雑誌の果たしてきた役割は十二分にありました。もちろん特に戦後の日本の写真史をも牽引していたと思います。その点についてはこれから様々な場で必ず再検証されると思います。


 今回の日本カメラの休刊は、会社自体の清算ということですから、とても大きなダメージだと思います。一年前のアサヒカメラの休刊とも重なり、単に雑誌がなくなるということにとどまらず、日本の「写真の現在」が途端に希薄なものになっていくような不安も感じます。「媒体」としてはSNSがあるから大丈夫といわれるかもしれませんが、情報の流れということよりも、情緒的にいえば「写真の夢」が閉ざされていく思いにかられます。それは私たち、作品発表を主として仕事にしている写真家たちやここで記事を執筆する様々なみなさんだけでなく、もともと歴史的にも写真雑誌の読者層の中心だった写真愛好家、アマチュア写真家にとって、これまでの写真との関わり、あるいは日常も大きく変わってくるのではないかと思えるのです。みなさんの「行き場」は失われていきます。これまで特別にカメラ雑誌を見ていなかった写真フアンでさえもまたなんらかの影響は受けるでしょう。もはや、ニコン頑張れ!、カメラメーカー頑張れ!という範疇でもなく、大げさにいえば、日本における「写真」という出来事ないしは「行い」の基盤が揺らいできているのではないかと思えます。少なくとも「写真」に関わる全ての人たちにとっての「転換期」であることに間違いはないでしょう。何かしらの考え方を変えていくことも必要かもしれません。

 コロナの時代だからでの転換期ではなく、写真をカメラで撮ること、見ることと写すこと、写真を飾ること、写真で飾ること、写真で時代を綴ること、写真に夢をどのように託していくこのか、写真と共にいかに生きていくのか。そうした諸々の悩ましい事象について考えるための「一里塚」を今私たちは通過しているのだと思います。

果たして旅をいかに続けていくのか?


古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。