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ニコンZ9を使ってわかったこと 1

 休刊になってしまった、アサヒカメラ、日本カメラにかつて書いていた記事のように、試用レポートとして詳しくカメラの機能、操作性などの印象を書くというものでなく、全く指針もデーターもないまま、普段こうしたフラグシップ機で写真を撮ることのない私が1週間「近所」で撮っていて気がついてことなどを、自由に書いてみようと思う。(ゲンコウとしての縛りも締め切りもないのがいい)  珍しくZ9で撮れたての写真も最後に何枚か添付する。

 まず、私は一応「日本写真家協会会員」なので、多少は仕事用のカメラバックも持っているのだが、いつも使うのは町歩き用の軽く安い(3000円くらいの )カメラバックばかり。したがってニコンZ9はどうしても入らなかったこと。

 これは無理もないことで、小さなミラーレスカメラと同等の大きさに考える方がおかしい。D6より約20%小型化と言われているが、プロカメラマン諸氏が言うよに「意外と軽い」というものでは「存在」としてないと思っている。バッテリーとメモリーカードを含めて1340gだから確かに、それほど重くはないのだが、おいおい!肝心のレンズを忘れているぞということ。私なら40mmf2が一本あればそれで作品は撮れるのだが、一般的なプロフェッショナル、あるいはハイアマと言われるみなさんなら、24ー70、24-120、70-200などは必需品のはず。これらを装着すればやはり重いし、図体は大きくなる。当然、カメラバックもしっかりカメラとレンズが収まらないといけない。こんな町歩きカメラバックなどお呼びではないのだ。第一、バッテリー自体こんなものだ。旅用の「髭剃り」と同じくらいの大きさ。これが底部に収まる。

 という、カメラの大きさ、質量から、そしてレンズとともにそれらを収納できるカメラバックという全体像をイメージすれば、このZ9は簡単な町歩き、美味しいものも食べます旅行写真、ご近所散歩のお供にどうぞ、というカメラではないことがよくわかる。フラッグシップ機とは、「いいカメラ」、「しっかりよく撮れるカメラ」、「高額なカメラ」、「信頼のおけるカメラ」、「頑丈なカメラ」などであるとともに、それらが「プロカメラマンが仕事として様々な現場で使うのにふさわしいカメラである」ことを宣言しているような「物」であると思っている。Z9はまさにそれだ。そして私が知る限りで購入したプロの皆さんは、それぞれの立場、領域で即戦力としてZ9を使い、すでにその対価として収入を得ていると思われる。
 だからと言って、アマチチュアカメラマンの皆さんには必要ないというわけではない。だって、私ですらZ9を使って、とても良かったし、欲しいと思わせるカメラだったからだ。

Z9作例1

撮影初日、あまり意味のない縦位置ノーファインダー撮影?

 アサヒカメラ、日本カメラでの作例なら、それっぽいカットを使うが、ここでは片手でZ9を保持し、しかも縦位置でシャッターを押せるかというチャレンジだった。結果としてできた。しかし、その状態を続けると絶対に右手首は痛むだろうと推察できた。(一度痛めていることもあるが)  そしてZ9でノーファインダー撮影などは必然性もないし、荒唐無稽の出来事になるだろうと確信した。つまり、Z9は「物」を携えている立場として、私は今、撮影しています!  ということをはっきり見せていくカメラでもあるということ。ここが実は肝でもある。

24-120mmF4
  1/500 f16  ISO400 

 Z9作例2

恐る恐るいつもの街角にZ9を持ち出してみた。

  かっこいいカメラマンが赤いポルシェあたりにカメラバックを入れて撮影現場までスーッと行くのとは違い、都バスに乗り「深川」まで。清澄白河あたりの数件で行われた「ガラス市」をのぞく。これが大失敗。気持ちはいつもの町歩きスタイルのままだった。狭い店内でのZ9に24-120mmスナップは周囲を気にして撮らねばならないので、カメラ操作も慎重にならざるを得ない。ミラーレス機のように動いてという軽いフットワークができなかった。珍しくこちらは動かずに撮影。ピンポイントのAFに絞って撮影。手前に被写体の頭や髪の毛がボケとしてチラチラ入ってくる状況。一点に合わせたAF精度の確かさを実感できた。高速連写などによりたくさんシャッターを押すというイメージがZ9などにあるのだが、カットごとに「慎重に撮る」という選択肢も同時にそこにある。動く、動かずを問わず、AF精度と追尾性能を生かす写真という領域にさらに挑戦しても面白いだろうと思われた。新たな表現としての可能性が、逆に誰もが認めるフラッグシップ機から生まれるというのは新鮮だ。

24-120mm
1/200 f5 ISO400 

以下 近日執筆の2に続く

古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。