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映画「小名木川物語」の上映会  (前編)


 2019年に完全版として完成した自主映画「小名木川物語」に関して、ここでどのくらい話したかも忘れてしまったが、この11月20日から23日までオンライン上映会が行われることになったこともあり、すでに何十回となく紹介した事柄をここでも記しておきたい。

   この映画は2013年に始まった。詳しい経緯は長くなってしまうので書けないが、かつて江東区の萬年橋の近くにあったブックカフェ「そら庵」が全ての出発点だった。夏祭りの後、何気なく私が「こんなにいろいろな人がいるんだから、映画でも作れるんじゃないの?」と切り出したことが、実際、集まりを産んでしまった。そして、自然に近くの「小名木川」にまつわるお話ができていった。この川は実は私の深川の原風景の中にもしっかりある川だった。そしてもちろん、東京大空襲といった忌まわしい記憶を有してもいた。

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   製作・プロデューサーは「そら庵」の東海亮樹さんが担当、脚本も彼が中心となり進められた。私は監督役となった。東海さんは当時、共同通信文化部の記者でもあった。博学で穏やかな人だったが、言葉の節々にジャーナリストとしての鋭さをしっかり持っていた。私はこのひととなりを信じ、一銭にもならない「仕事」を引き受けた。ただし、途中からカメラマンさんが本当の仕事が忙しくなり、私が撮影も担当することになったのだが、映画がとりあえずフュニッシュを迎える2016年の終わりまで、とんでもないほどの混乱と苦しみを背負う羽目になる。

 映画専用のカメラもなかった。もちろんデジタル一眼レフで撮ることを決めていたし、それもニコンを使うことが私の前提であったのだが、当時のニコンの動画機材はまだ少し競合メーカーからの遅れを感じさせるもので、撮影実務の節々に撮りにくさを残したまま、まるで素人のおじさんがちょっと趣味で撮るような体裁でしかなかった。しかし、孤軍奮闘、意地で頑張った。初めは20分ぐらいの映画になるはずだったから。そして、実際の町の皆さんが本人役で登場するという大それた映画が、ぎこちなく粛々と進められていく。

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(左の男女が主演俳優。私のカメラの後ろにいる立派な体格のプロデューサー東海さん。町の人はエキストラにあらず。実際の現場。2015年1月)

後編に続く

2021年版予告編


オンライン上映会 11月20日〜23日


 


古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。