【西洋演劇史#3】初期の劇作家

演劇祭「市のディオニュシア祭」(4月に行われる。)のために書いてあり、目録にも残っている詩人のうちで、最も初期であり最も優れていた(であろう)人物が

「アイスキュロス」である。

彼はおよそ80〜90の戯曲を書いたと言われていて、彼の作品「オレスティア」は今日まで残った三部作の唯一の例である。初めはディチュランポス(讃歌)の合唱団は50人に俳優一人であった。だが次第に俳優が二人になり(合唱団は12人)最終的には第三の俳優が入るようになった。



その次に有名なのはアテーナイの作家

「ソポクレス」で、

「オイディプス王」「アンティゴネ」「エレクトラ」など約90編書いており、演劇祭でも常に1等か2等、賞も12回受賞している。彼はアイスキュロスより若く気性も違っていて、戯曲の厳格さはなく合唱団も筋とは密接な関係はなくなったが、彼の叙事詩は素直で響きが良く、人物の性格描写に長けていた。



その後はソポクレースより若く、同時代にいきていた

「エウリピデス」に代が変わっていく。

彼は良家の出身で、世捨て人のような生活をしていた個人主義であったため人気がなく賞も5回ほどしか取れなかったが、劇はわかりやすいもので人気を得た。サチュロス劇「キュクロプス」など92篇のうち18篇が残っているが、それほど現存しているのも人気があったためである。新しい試みに「プロロゴス」(前口上)があったり、「メディア」や「ヒッポリュト」などいくつかの作品を書くことで合唱団が無用なものであると気づいていく。実際にその後後継者たちの作品は幕間音楽で合唱団らしいチームを作り、合唱団自体を省いてしまう傾向になっていった。


これら3人の劇作の手で悲劇は発展していった。その過程で色々な形の喜劇が融合して

アリストパーネスの劇が生み出された。

彼はアテーナイ唯一の喜劇作家であり、40篇のうち11篇が今尚存在し。彼の作品は完全な形で残っている。作品の多くはその当時の政治や社会的慣習に密接に関わっていて題名には合唱団がまとっていた装衣をとって「騎士」「蜂」「蛙「鳥」「雲」などで、風刺画伝達されるのは合唱団の役目だった。作品の大部分に現れる毒舌、社会風刺、個人批評、道化など彼ほどうまく取り入れた作家はいないであろうと言われる。

現代の観客が社会的風刺を理解できるだけの背景知識がな少なすぎるため、翻訳の場合は出来事を現代風に変えて慎重に、普遍性を強調することでなんども再演されてきた。


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