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大人の発達障害はどう理解されるべきか

センシティブな内容のため様々な意見があると思います。ここからは医者などの専門家が書いているわけではありません。一個人の意見として参考程度に読んでくださると幸いです。

最近大人の発達障害という概念が急激に世間に広まっています。ところで発達障害の症状を持つ人は最近になって現れてきたのでしょうか。いいえ昔からこのような症状を持つ人々はいたようです。

そもそも発達障害の基準というものが少しあいまいに感じます。発達障害の症状やチェックリストをみていても、程度は別にしてだれにでも当てはまるような項目があるからです。例えば忘れ物が多いとか時間を忘れて一つのことに集中しやすいなどです。その特徴がその人らしさや特徴をつくる個性ととらえることもできます。

ではどのような時発達障害の方にサポートが必要なのでしょうか?私は発達障害の方がおかれている環境で生きづらさを感じたり、周りの人たちとの関係で誤解を受けられやすかったり、自分の特性のために周りに迷惑をかけているとき、周りや自分自身が精神的に疲労してしまうときだと思います。

(もちろん発達障害の特性をうまく活かして活躍されている方もいます)

ここでひとつ加えて言うと発達障害での症状が甘えであることや親の育て方のせいではないことです。

私の場合は感覚過敏の症状に苦しめられました。例えば学校の蛍光灯の光が人よりもまぶしく感じやすく授業に集中しにくかったり、周りの騒音が気になって先生の言葉を聞き取るのが難しかったり、じっと机に座っているのがしんどくて座っているだけで疲れたりしたことです。

また不注意の症状もありました。例えば忘れ物をよくしたり細かな計算ミスをしやすかったりしました。自分の不注意で自分が苦労するだけならまだいいのですが、部活動など皆と一緒に活動しているときにこのようなミスをして迷惑をかけてしまうことがとても辛かったです。

発達障害の概念が存在しなかったそのころは「気を付けて!」「また?しっかりして!」と言われることが多くその度に自分を責めていました。また同じミスをしないように気を付けるのですが気を付ければ気を付けるほど、もう何もできないようになりました。

私はこのような問題は誰かが悪いものだとは考えません。そのころの経験があったからこそ発達障害の理解が広まることが、発達障害と周りの人々との摩擦を減らし当事者の負担を減らすことにつながるのではないかと考えることができました。

なぜなら理解されることで周りも対処がしやすくなるからです。例えばミスが多い人が細かい注意力のいる作業を行う場合はサポートを行うことでミスを減らすことができます。当事者自身もミスをなくす方法を考え工夫をすることができます。

私自身も発達障害のことを知ったとき、病院へ行って治療を受けたり発達障害の本を読んでミスの減らし方を学びました。例えばメモを取るようにしたり見直しチェックを行うように気を付けました。

感覚過敏に関してはイヤホンをつけるようにしたりサングラスを付けたり休憩をとるなどして疲れないように工夫をしています。

自分自身が発達障害の診断を受けたとき、ショックもありましたがなぜかホッとしました。自分自身の今までの症状が自分の甘えではなく脳の機能の濃淡(凹凸)のせいだったのだと知れたのと、もう自分を責めなくてもいいのだと思ったこと。適切な治療(時には薬物療法)を受けることによって症状が改善され、周りの方々への迷惑や負担を減らすことができること。私のように悩みを抱えている人に自分の経験や自分なりの解決策を情報として伝えることができること。未来に向けて進む道ができたように感じたのです。

このように発達障害の理解が広がることは発達障害の方やその周りの方々の摩擦を減らし社会が豊かになることにつながるのではないかと考えます。

私自身がどうやって発達障害の症状と向き合い付き合っているのか。また自分の周りにいるなんか変わっている人はなぜそのような行動をするのか、その人とどう関わったり仕事をしていけばいいのか考えていきたいと思います。

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