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レプリカ

 レプリカとは、端的に言ってしまえば『複製品』のこと。本来はオリジナルの製作者本人が作ったもののみを指す言葉であったが、現在では誰が作ったかは重視されなくなっている。大事なのは、それが緻密にオリジナルを再現した公式の製作物であること。ゆえに『コピー』などという薄っぺらい言葉で表現するのは極めて乱暴な行為である。気がする。

「僕としては、その精巧な品をしまいこんでしまうのは、この世界にとってなんらかの損失になるのではないかと懸念するのだが。どうしてもダメなのかい?」

 その問いに学芸員は「ええ。」と短く返事をし、こちらを一瞥もせずてきぱきと作業を続ける。しかし、その指先を舐めるように見つめる僕の視線に気付いたのか、鬱陶しそうに目を細めてこちらを見やると、
「わたくしが決めたことではございませんので。文句は新市長におっしゃってください。」
 ここは市が運営する博物館。ここで一番偉いのは館長である僕…ではなく、先日の選挙で前市長を押さえて見事当選を果たしたイケメンニューフェイスの若造である。その坊やがどうやら展示物に口を出してきたらしい。
「お上の命令と理解はしているけれどねぇ。それは開館当初からここに鎮座しているもので、ここにはこれしかないというものなんだが。ほうら見てごらんよ。この台座、長いこと照明に当てられた部分が白く煤けて、その杖の影がくっきりと残っているじゃないか。これぞ歴史だよ、歴史!史実を表す素晴らしいレプリカなんだよ、それは!」
「その『史実』に基づいていない、というのが新市長のご主張なんですよ。」
 僕の言葉の熱量に反し学芸員は冷めきった声で言う。その内容に僕の方は更に熱を上昇させた。
「それはこれが『魔法の杖』だからかい?『魔法』という部分がよくないのかな?魔女狩りは史実なのに?」
 昔むかぁしの話ではあるが、この国では魔女狩りという儀式が実際に行われていた。疫病や災害が発生した折、それを特定の誰かのせいに仕立てあげることで人心を落ち着かせる、いわば治世術のひとつである。
「魔女狩りが史実であったとしても、それが魔女や魔法の実在を証明するものではないと、館長もご存じでしょう。あれはでっちあげです。何の罪もない女性を虐殺した事実のみが史実です。」
「……確かに。そうだねぇ。」
 僕が反論しなかったので学芸員はあっけに取られたような顔をしていた。いつもこういった口論が始まると小一時間は拘束されるのだから、当然だろう。かといって、せっかく終わりが見えた議論を蒸し返すほど彼は馬鹿ではない。再び淀みのない手つきで片付けを再開する。件の『魔法の杖』はテキトーな箱に雑にしまわれた。
「一応、倉庫に保管しておきますよ。処分しろとまでは言われておりませんので。」
 そう言うとこれまた雑な所作で箱を小脇に抱え、早足で行ってしまう。お喋り好きな僕に辟易しながらもいつも付き合ってくれるから、もう少しいじめてあげてもよかったが、今回ばかりはこちらの都合で早々に切り上げさせてもらった。
「本当に、都合がいいよ。この時をどれほど待ちわびたか。」
 ここの館長になってから数十年、いや…生まれてからずっと。もっと言えば、父母や祖父母やその前のご先祖さまの積年の。世代を越えて待ち続けていた瞬間が、新しい愚かな市長のおかげでようやく訪れたのである

「さて、閉館までしばしお茶でも淹れて待つとしよう。」


 * * *


「……館長?こんな時間に何をなさっているんですか?」

 夜の博物館には静寂が居座るべきだ。生物の呼吸の音さえあってはならない。なのに、今ここには互いの存在に息を飲むふたつの生命が対峙してしまっている。由々しき事態だ。
「君こそ、こんな時間にこんなところへ何の用だい?優秀な学芸員といえども、時間外労働は感心しないなぁ。」
 おちゃらけてみせたが、彼の中の緊張感は緩んでいない。僕がこの倉庫にいること、手に持っているもの、あるいは昼間の態度から、何かを察してしまったらしい。
「……わたくしは忘れ物を取りに。万年筆を胸ポケットに入れていたのですが、どこにも見当たらなくて。ここでかがんだ時に落としたのではないかと。」
「ああ、万年筆か。さきほど拾ったよ。これじゃないか?すぐに見つかってよかったな。さぁ帰りたまえ。」
 半ばヤケクソにたたみかけたが効果はなかった。差し出した万年筆ではなく、それを持つ左手の方をつかまれてしまった。
「館長。午後のやり取りから違和感を感じておりました。あんなにあっさり引き下がるなんてあなたらしくない。何を企んでおられるんです?それはそちらの手に持たれている例の杖と関係があるんですか?」
「……うむ。観察眼が優れているのは学芸員として素晴らしいことだと思う。しかし、この場においては余計な詮索と言わざるをえないな。命が惜しければ潔く立ち去るがよい。」
 悪役みたいなことを言ってみた。半分本気ではあるが、彼にはやはり効果がなかったようで。
「馬鹿げたことおっしゃらないでください。そんなレプリカひとつでも、持ち出せばただでは済まされませんよ。頭の悪い市長のために館長が罪を犯す必要がありますか?」
 なるほど。彼は僕がお気に入りの展示物を否定されたがために無茶を企んでいると推測したらしい。たしかにこれを盗んだところで市長の鼻をあかすことなどできないし、バレれば僕の手は後ろに回るだろう。けれどもねぇ、
「あの小僧のことはどうでもいいんだよ。僕の目的は初めからこの杖だからね。」
「昼間から思っていたのですが、そんなレプリカの何に魅力を感じているんです?あなたは博識だ。博識すぎてお喋りが過ぎてうんざりするけれど…その知識の深さを尊敬もしているんです。そんなあなたが、たいした価値もないそのレプリカに執着する理由がわかりません!」

 執着。

 そうだな。僕はこの杖に執着している。
 それはこれが開館当初からこの博物館に存在するがゆえに愛着がある、というわけではない。もちろん、美しく繊細な彫刻が施されているからでもないし、それなりの宝石があしらわれているからでもない。
「これはね、学芸員くん。とても素晴らしいレプリカなんだよ。そう!『レプリカ』としての役割をこれほどまでに果たしてくれたものは他にないんじゃないか?君はレプリカとは何なのか真に理解しているかね?」
「何なのか…?精巧な複製品でしょう?オリジナルでは博物館の展示環境に耐えられない場合などに、代替品として使われるものです。」
「しかし、その『オリジナル』が存在しない場合もあるだろう?」
「それは例えば…階差機関二号…などのことでしょうか。オリジナルは製作されなかったが、後の時代に設計図を元にレプリカが作られたと聞きます。たしかにそういうこともありますが……」
 ここで即座に階差機関二号に言及するとは、彼の知識もかなり深いところまで到達しているようで感慨深い。しかし、この話で重要なのはそこではなく。
「大事なのはオリジナルが実際に存在するかどうかではないということだよ。『レプリカ』が在ることによって無意識に『オリジナル』を想像させること。それが重要なんだ。」
 僕の右手に握られているのは魔法の杖だ。だが、魔法の存在は否定されている。それがどういうことか。さて、学芸員くんの推測は?
「つまり、その魔法の杖にオリジナルなんて無いということですね。市長のご主張もあながち間違いではなかったってことだ。」
「半分正解。たしかに、この杖はこの一本のみ。この『レプリカ』だけだよ。だがね、」
 レプリカが在ることでまるでオリジナルが存在するかのように錯覚する。そこまではいい。問題は、現実にオリジナルが《無い》わけではないということだ。
「学芸員くん、たしかにコレにオリジナルはない。《別に》オリジナルがあるわけではないんだ。」
「………は?それはどういう…」
 そこで僕は、

 ザンッ!

と、杖で空間を切り裂いた。その途端ずっと放さずにいた僕の手首がするり抜けたものだから、学芸員くんの口はあんぐりと開かれている。
「僕の祖先はこれを『レプリカ』と名付けることである種の魔法をかけた。無論、魔力なんかいらないタイプの魔法だがね。」
 そのせいで長らくガラスケースに閉じ込められ、持ち出すことが叶わなかったわけだが。展示室ではなく倉庫の中からなら、目撃者の口さえ封じてしまえば簡単にバレることはない。
「申し訳ないが消させてもらう。口外されては館長でいられなくなるからね。」
 ぶん!と一振り。
杖で半円を描くと、その軌道上に細かな光の粒が舞い散り、倉庫内は満点の星空に変わった。その美しさに目を奪われるや否や、
「………!館長?」
 学芸員くんは僕の姿を見失ったようだ。実を言うとまだ目の前にいるのだが、文字通り姿を消させてもらった。杖が戻った今、館長の座に未練はない。未練があるとすれば、
「優秀な君の成長を…もう少しそばで見ていたかったが、僕は館長から魔法使いに戻らなくてはならない。罪なき女性たちの犠牲によって命を繋いできた我々は、もういいかげん本来の姿に戻って罪をすすがねば。」
 魔女狩りで失われたのは魔法使いでもなんでもないただの人だった。誰かの娘であり、妻であり、母であっただけの。病や災害の、それこそレプリカとしてその命を奪われたのだ。本物の魔法使いが名乗り出れば助けられたかもしれないが、僕の祖先たちは黙して自らを守る道を選んでしまった。自分こそ魔女であるとバレないよう、杖を手放してまで。
「これからは罪なき命の灯火が消えないよう、この杖で点火していくとするよ。さよならだ、学芸員くん!今までありがとう。」
 もう一度杖を振ると、ふわりと浮き上がった身体が床から遠ざかり、戸惑う学芸員の姿も小さくなった。最後に聞こえた声は、
「館長…ありがとうとか、らしくないですよ。本当に唐突で勝手な人だ。けれど……こちらこそありがとうございました。…お元気で。」
 察しのいい彼だが、どこまで理解したかはわからない。それでも「お元気で」と見送ってくれるのだから、心根の優しい子なのだろう。そういえば、いつものわざとらしいくらいの敬語を乱してまで僕をたしなめようとしてくれていたな。本当はこんなふうに別れたくはなかった。

「ああ、これを返すのを忘れていた。」

 天井をすり抜けて仰ぎ見た夜空の中、左手に握ったままの万年筆を星の海にかざす。
 いつか精巧なレプリカを作って返しにこよう。有能な君はきっと見破るのだろうが。

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