コロナ・失語症日誌

「マグノリアの木(木蓮)」

本日はブログで、児童文学、宮沢賢治のアップの日である、再読は後の楽しみにして、最初に、まだ読んでいなかった未発表作品の「マグノリアの木」を読んだ、テーマとその展開が、難解な作品、1923年、妹トシの死、その後の樺太旅行、原稿用紙12枚程のものだが、二度三度読んでも、はっきりとは見えてこない、「私の景色、」「マグノリアの木は寂静印」「革命や、飢饉や疫病は、覚者の善です」「私です、また、あなたです」が、善と悪と、幸、不幸、日常と非日常とを、それは覚者の善ですと、賢治の諦めのような、又は覚醒のような、そんな中で私が共感する、もう一人の私というもの、「そうです、ありがとう、私です。またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから」の感情、
私の「マグノリアの木」を書いて見たくなった、

私は親戚というものを、結婚によって初めて得たような気がしていた、末っ子である妻の兄姉5人が一度に私の親戚に、その日は2番目の兄の家に泊めてもらった、その兄は、人生と言うものを、少年時代の延長のように送っている人で、初めてその兄に会った日から、今日まで話したことと言えば、その兄が今やっている趣味の話であった、会えばまた違った楽しみのあれこれ、そしてそれは今でも変わらない、道楽者のような、殊更の深入りをすることもなく、人生の味わいのように、日々の暮らしの中で楽しんでいた、その味わいの、私が知るいくつかを上げれば、若いころからの切手収集、家作り、庭造り、園芸、植物観察、陶器の鑑賞、収集、作陶、絵描き、謡、東海自然歩道の踏破、最近は旧中央線のトンネルを守る会、古墳、埴輪と、
その兄が、「今日は、どこか行く予定はあるの」と、「今、愛知万博で壊されそうな、海上の森と言う所がある、行ってみないか」と、車で30分程の所になだらかな丘陵地が広がり、雑木林の森が、こんな所に湿原がと思える、小川に沿って山を分け入って行くと、川淵の流れに沿って湿地が延びていた、ぬかるむ足元にはミズゴケ、小さな草花、幼い芽生えたばかり木々、「これ狸々袴よ」義姉の綾ちゃんが指さす先にはピンクの花が、「これ東海モウセンゴケ、これは耳かき草」、草木の名前を良く知っている、綾ちゃんのはしゃいだ声が林にコダマする、突然私は、タイムスリップしたような錯覚に、
少年の日、本家の横に、山からの清水が流れ込む池があった、そこには、イモリ、サワガニ、春先にはカエルの卵、ヤゴ、アメンボ、流れの先には小川が、ドジョウ、ザリガニ、ヤゴ、メダカ、池の頭上には藤蔓が垂れ下がり、秋にはアケビ、柿、栗、と、植物、生き物たちの楽園のような場所だった、私は、学校から帰ると真っ先にその清水に向かう、転校してきばかりで、親しい友達も無かった、その清水は何よりの遊び場だった、清水の横が、裏山への入り口、清水を超えて曲がった所が、マムシがよく出る樫の木のウロ、マムシは飛び掛かってくるからと、そのウロを注意しながら歩く、右側は深い竹藪、風のある日は、竹がガランガランと音を立て脅してくる、坂道は、じめじめしていて、滑りそう、時々ヒルが這っている、そんな薄暗い道を上ると、中腹の明るい場所に出る、私がターザンごっこの森と名付けていた所、何本もの藤蔓が垂れ下がっており、その何本かを束ねてブランコを作った、近くの森では秋にマツタケも出た、父といつか採りに来て、何本か見つけた、ダーザンごっこの森を抜け、雨でV字に削られた赤土の上り坂を行くと、馬酔木や、つつじの群落、そこを上りきると、山之上の広大な丘陵地に出る、梨園がどこまでも続いていると思えるような、私は時々、屑梨を買いに行くとき以外は、その梨園の方には行ったことはなかった、余りに広くて、遊ぶ目当てが見つけられなかった、それで、いつも道を上り切ると、右に曲がって、お墓に入って行った、墓の奥には這松林が広がっていたが、少し下ると、眼下が開けて、遠く御嶽山、恵那山、近くは蝮山、土田山、光る木曽川、中山道、太田の町並、と、私はその高台に立ち、もう一人の自分と出会っていたのだと思う、家はなく、本家の納屋に仮住まい、母は家出をしそう、そんな我が家を、山の上から眺めるように、もう一人の自分で見ていたのだと、そして、山道ではその時々の生きものたちとの出会いを、
テン、狸、雉、中でも一番会いたかったのは、フクロウだった、麦畑のヒバリの巣は良く見つけたが、山に棲む、夜になると気味悪く鳴く、フクロウは何処にいるのか、なかなか見つけられなかった、御祖父さんに読んでもらった動物たちの話が、山や里では身近なものに、池に尻尾を垂らして魚を取ろうとして、尻尾が凍ってしまった狐の話、フクロウに羽の染付けを頼んで真っ黒にされたカラスの話、小学2年になり、村の生活にも慣れ、遊びの範囲も広がっていた、お墓の端の脇道を下っていくと、三段に連らなった、深い緑色にに染まった三ッ池がある、途中、木石や水晶が見つかる砂利地を抜けると、樫や、ナラの生えるその三ツ池に出る、ある日そこで、樫のウロの中へフクロウが入っていくのを見た、咄嗟捕まえてみたくなり、思案の末、ウロを学生服で覆って出てくるところを包み込もうと、そっと近ずきウロを服で塞ぎ、樹の幹を足で蹴った、すると、フクロウは学生服めがけて突進して来た、必死にもがくフクロウ、噛まれないように、頭から包み込む、心臓が高鳴り、恐くてフクロウの顔も見ることも出来なかった、まずお祖父さんに見せようと、抱きかかえたまま、急いで山を下りる、もがき続けるフクロウを、逃がさまいと、服を一心に押さえ、そして、お祖父さんに「フクロウつかまえた」と、自慢気に、ところが御祖父さんは、ふくろうは山の番人だから、捕まえたらだめだ、逃がしなさいと、私は、ただ服で押さえているしかなかったフクロウを持て余し、お祖父さんの目の前で逃がした、フクロウは一瞬にして山へと帰っていった、フクロウとはその後出会うことはなかった、

ぬかるんだ湿地の、畦道ほどの小道を進んでいくと、木立の間から緑の池が広がり、上部には水を湛えた堰止めのダムがあった、ダムの上には大正池のような枯れた立木が連なり、静寂に包まれていた、人の気配はない、時々鳥のさえずり、会話が途絶えると、時間が止まったような、あのダムの上で寝てみたいなと私、ダムに降り立つ、妻は怖いと尻込み、「ほらあれがシデコブシだよ」「お祓いの紙垂に似ているでしょ」と、兄が白い花の咲き乱れた木を指さした、雑木に囲まれた中、何本かの辛夷の木があった、「岐阜と愛知のこの一帯にしかない、モクレン科の絶滅危惧種、付近ではオオタカの棲息も確認され、保護団体が反対運動をしてる」と、ダムを渡って谷戸のような広場に出ると、葦やススキの草叢が一面に、そこには数軒の廃屋が、懐かしい少年の日を、谷を渡る風の中に見つけ、「いいなー、こんな所、絶対子供たちに残さなければね」と私、綾ちゃんは、何か葉っぱを物色しながら「良いのないかーな」と、「柔らかくて弾力のある」と、やがて一枚の葉っぱ見つけると唇に挟むみ、草笛を奏で始めた、谷戸を渡る、透き通った、風のような音が、辺りに一面に広がった、「そうです、ありがとう、私です、またあなたです。なぜなら私というものもまたあなたの中にあるのですから」と、世界の善と悪、幸不幸、どちらも覚者の善です、人と自然とは、私はあなたで、あなたは私ですと、賢治の求めた、イーハトーブは、何処にでもあり、自然は私で、私は自然であると、草笛は語っているような、


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?