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「平穏死」Tさんの場合


97歳 Tさん

お話し好きの女性で、ご主人は先に亡くなられており、施設に入居された時には、すでにお看取りの状態ではないかと思われるくらい、食事が摂れず、瘦せていて、小さな小さな体格の方でした。
心不全と認知症を患っていました。
「おねぇちゃん」とスタッフを呼んでは、いろんな話をされました。
若いころは、ずいぶん苦労をされたようです。
地域ではご主人と役員などをされ、とても面倒見が良かったそうです。
息子さんや娘さん(遠方)お孫さんに大切にされ、お孫さんとはタブレットを使用して交流されていました。
ただ、少し残念だったのは、ご自身の母親、妹さんには、強い恨みを持っていて、眉間にしわを寄せて悪口を言うことも珍しくなかったです。

ナースコールも頻回に押して、スタッフが伺うと「呼んでないで」と言いつつ、来てくれたスタッフには嬉しそうにおしゃべりするのでした。
はっきりものを言い、好き、嫌いもはっきりしていました。
全ての選択をご自身でされていたので、気分の良し悪しで、その日のケアも変わる状態でしたが、スタッフは「そのマイペースに最後まで付き合おう」と決めて取り組んでいました。

同居の次男さん

仕事の都合で海外に行くことも多かったのですが、母親思いで日本に居る時には、Tさんのリクエストに対応して下さり「たこ」「サイダー」「おでん」など、差し入れを持ってきてくれました。ちょうど、コロナで会っていただくことはできない時期でしたが、こちらからもこまめに様子を報告していました。
差し入れを持ってきてくれる息子さんに対して「息子のために頑張らなあかんな」という言葉も出て、入居当時より元気になりました。


好物のひとつ 焼き芋


少し元気になった時期

無理強いすることなく、好きなものを好きな時に、欲しい量だけ色々な物を召し上がってました。プリン、焼き芋など・・・サイダーも良く飲まれていました。散歩が好きで、気分転換に散歩に出ては、草花を摘んできて、施設に帰ってくると、スタッフや他の入居者の方に「やるわ」とプレゼントして下さってました。
寝る時間も、起きる時間も自由。夜間はスタッフとゆっくり話ができるから、休まずに身の上話を延々と話す日もありました。

看取り期

自然にゆっくりと食べる量は減りました。
眠る時間は増えました。
2日眠って、1日起きる…というペース
起きているときには、ご本人の好きだった散歩や入浴を促しますが、頑なに「NO」の返事。
最期の最期まで、本当にマイペース。それで良いのだと思います。
そのペースを守りつつ、本人が嫌がることはしないことが原則ですが、ケアを諦めない。それが大切だと感じました。
めんどくさい、汗かいてないから風呂は入らない、と言い続けていた3か月でしたが、亡くなる前日入浴を促すと「入っとこか」と言われ、特別浴槽(寝たまま入れる浴槽)で入浴することが出来ました。
「ありがとうな…ありがとうな…」と何回も言ってくださいました。
血色も良くなり、血行障害で痛がっていた指先の痛みも全く無くなり、ぐっすりと眠りました。
その夜は子猫を拾った夢を見たようで、うわ言でスタッフに託すと言っていました。

亡くなる当日

数か月かけてゆっくりと老衰の経過をたどり、自分の意志で入浴し、準備を整えた次の日、朝から呼吸の様子が変わりました。
近くに住む次男さんにはすぐに来ていただき、遠方に住んでいる長男さん、長女さん、お孫さんには連絡をしました。
お昼前、遠方のご家族も、全員到着して10分ほどしてから、静かに呼吸が止まりました。ご家族も「お母さん、ありがとうな、よく頑張ったな。よく待っててくれたな」と声をかけていました。

エンゼルケアはご家族と一緒に行います。
若いスタッフがたくさん、代わる代わるやってきて、思い出話をしながら、最期の感謝の気持ちを伝えながら、お身体をきれいにしました。
仕上げは、娘さんとお孫さんが、化粧をされました。

後日

ご逝去後、四十九日を目安に、施設ではグリーフケアとして、施設内で撮った写真でアルバムを作成し、スタッフ全員のメッセージを添えてご自宅に送ります。
アルバムを作成しながら、メッセージを書きながら、やはり温かい気持に包まれるのです。感謝の気持ちでいっぱいになります。
施設でのお看取りは、亡くなるご本人、そのご家族、私たちスタッフにとっても幸せなものであってほしいと思います。

眉間にしわを寄せて悪口を言っているTさんの姿。スタッフの思いとしては、恨みを忘れて、悪口をやめて、心穏やかに旅立ってほしいと願っていましたが、それも含めてTさんの人生。ありのまま受け入れることが私たちの仕事。最期はありがとうの方が断然多かった。それで良かった!と思えるのです。


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