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音楽を通して触れる、彼らと私達の希望と祈り〜JO1『飛べるから』の感想〜


 「この曲に抱いた想いを形にしなければ」という使命感という名の愛を覚え、感想記事を書く事にしました。どうも皆さんおはこんこんおや、ミトラです。

 今回綴るのはJO1のドキュメンタリー映画「JO1 THE MOVIE『未完成』-Go to the Top」の主題歌でもある「飛べるから」の感想です。映画を観てから感想を書くかも考えたのですが、観た後だとどうしても内容と混ぜ合わせすぎて純粋な曲の感想が書けないと判断して公開前日のタイミングとなりました。自己満足文章となりますが、目を通していただけるなら嬉しいです。



1、「飛べるから」概要


作詞:大知正紘 作曲:田中隼人、大知正紘 編曲:田中隼人


 楽曲制作に参加した大知さんと田中さんのコンビはCHALLENGERに収録されている「君のまま」の制作も行なっています。JO1の楽曲に参加するのは2回目で、どちらもバラード楽曲になります。
 そして、「飛べるから」という楽曲はJO1の全楽曲中一番曲の尺が長く、約5分の長尺バラードになります。この長さになったのは映画の主題歌としてエンドロールに流す事を加味した結果かもしれません。ジャンルとしてはPrologueと同じミディアムバラードに分類されると思います。

 それでは、楽曲の基本的な情報はここまでにして、感想に移って行きたいと思います。



2、ストレートと変化球が織りなす化学反応


 まず、「飛べるから」が配信される際に公開された楽曲紹介の文章を見てみましょう。

3月4日(金) 午前0時より配信される『飛べるから』は生楽器をメインにしたメロディーで、これまでのJO1の歩みをストレートに表現しています。僕たちは一人じゃない、絆と愛、互いに信じ合い、一緒に大きな夢を掴んでいきたいという思いと、何よりもJO1にとって、いつもそばで支えてくれているファンに向けた感謝のメッセージがこめられたバラード曲です。​
JO1公式サイトより引用:https://jo1.jp/news/detail/1706

 生楽器とは、アコースティックギターを始めとした機械を使って電子的な加工や増幅をしていない楽器の事です。楽器本来の音をそのまま持ってきて音楽を構成する事で、楽曲のメッセージ性を飾らないままストレートに作り上げようという意図を感じます。
 そしてそこに重なるメンバーの歌声も、今までのダンス曲などに見られる電子的な加工が少なく本来の声が聴こえてきます。そのストレートさがまさに聴き手に突き刺さるんですよね。
 楽器の音とメンバーの歌声、どちらも加工しない本来の姿を見せる事でストレートさにさらに磨きがかかっています。

 私はこの楽曲を一度聴いた時に「聴き手を泣かせる要素をこれでもかと詰めた曲だ」と感じました。この後にも所々にその理由を記載しますが、この楽曲はどうやって人の心をどう揺さぶるかを突き詰めて作られているように思います。映画で見ることの出来る描写やJO1の持つストーリー性に頼りきるのではなく、楽曲一つの作品に涙腺を揺さぶる力をしっかり込めているというか。「絶対にJAMを泣かせよう」というやる気が感じられて、とてもありがたい。


 では、メンバーのパート割はどうでしょうか。音と歌声にはストレートさが見えると前述しましたが、逆にメンバーのパート割や歌い方にはストレートだけでなく変化球が見えます。
 勿論これまでの楽曲にも見えるパート割を踏襲している箇所もあるのですが、所々に「そう来たか!」と手を叩きたくなる箇所もあって。個人的に、そのストレートと変化球が良い塩梅で共存している音楽である事が、この飛べるからの楽曲の面白い所だと思っています。

 所々抜粋して書いていきましょう。是非皆さんも楽曲を聴きながら読んでみてください。まずは冒頭の豆蓮。高らかで甘さもある高音が魅力的なお豆が、ざらつくような声の入りから歌い出して、そこから蓮さんに繋いでいく。その蓮さんの歌声もいつもより低くてざらついた触り心地があって。どちらも「こんな声も出せるのか」という新たな発見がありました。この2人はサビで高音のメロディーを聴かせてくれる事も多いので、それも相まって冒頭からすごく惹きつけられていきました。

 その後のよなぴの歌声はとても横幅があって力強い、下から楽曲を押し上げてくれるような感覚。楽曲の壮大さとマッチしている幅と歌い方です。豆蓮の「こんな声も出せるのか」という慣れない発見が楽しいという感情から、「これが聴きたかった」という待ち侘びたものが来て嬉しいという感情に切り替わっていく。
 そしてその後に来るお鶴の歌声!今までの楽曲ではあまり聴く機会の無かった高めのメロディーのパートです。一音一音全てに真正面から向かい合う、どこか無骨だけど愛らしい一生懸命さが、また「こんな声も出せるのか」という発見の楽しさと感動を呼び起こしてくれる。

 このように、「今まであまり聴いた事の無い新しい姿を見せる」パート割と、「これが聴きたかったんだと満足させてくれる」パート割、これらが絶妙なバランスで共存している事で、聴き手の感情、特にこの2年JO1の楽曲を受け取ってきたJAMの皆さんがさらに揺さぶられているのではないでしょうか。知っている歌声の安心感と知らない歌声へのワクワク感、まさに過去と今を大切にして未来へ踏み出していく事を想起させる今回の映画にピッタリな構成だと思います。


 一例として冒頭の4人のパート割について記載しましたが、ここ以外にもその絶妙な構成は存在します。

 例えば2番サビのるんきの受け渡し。純喜がサビの頭から高らかに歌い上げる事はこれまでに何度もありましたが、そこからるるたんにバトンが繋がれる事って今まで全然無かったんですよね。それに加えていつもラップしているトーンよりも高い声。個人的にはぼんとゅびのCメロの「もう何も怖くないさ」を思い出しました。ここも前述と同様に安心感とワクワク感の隣り合わせが目立つ部分ですね。

 続いてCメロのけご→たっくん→しょせの流れ。誰が聴いても「これはけごだ!」と分かるオシャレな声質から、絞り出すように歌い上げるたっくんの高音、そしてしょせの優しさと真っ直ぐさが込められたワンフレーズ。
 けごたくの2人って結構声の相性が良いと思っていて、実際に無限大とオエオでは隣り合って歌い出しを担当していますが、そんな2人が繋いだ先にしょせの優しい告白があるのが、もうたまらないですよね。「そんなっそんな事言っちゃうんかあああああ」っていう。映画のエンドロール、しょせの「前を向いていられた」で絶対泣くんだろうな・・・。

 もう一つ紹介するならラスト30秒のサビ。使われる楽器も変わって最後の最後で畳みかけるサビのスタートを、ラップラインのつるきまが歌うなんて、一体誰が想像できたんでしょうか。楽曲時間が長いと最初から最後まで集中して聴くのは難しくなりますが、今まであまり見る事の無かった姿を楽曲の最後に見れるからこそ、最後の最後までこちらも楽しみ切る事が出来るんですよね。

 ここまで紹介したのは一部で、まだまだ言及できる所はありますしスカイが入ってくる事でまた新たな見え方があると思います。
 ストレートな音作りに絶妙なバランスの歌割が乗っかる事で伝えられる感情の種類や大きさがどんどん増幅していく、そんな化学反応がとても面白いバラードです。



3、音の中に見えてくる祈りと希望


 歌割について沢山言及しましたが、続いては聴こえてくる音のイメージを書いていきます。

 何度も飛べるからを聴いていくうちに、私はこの楽曲に祈りのようなものを感じていました。その感想を抱かせた音は、2:56からあるコーラスパートです。このようなコーラスが入る曲は世の中に沢山あって、ライブだと演者と観客で一緒に歌い合える、心を一つにできる部分ですね。

 このコーラスパートについて、未完成の監督である稲垣監督がTwitterでこんな言葉を書いています。

 このツイートを読んだ時に「このメロディーに込められてるのは願い、祈りなんだ」と確信する事が出来ました。

 WOW〜と歌う部分って楽曲の中でも響き渡る世界観が重視されるように音量や響きが調整されていて、声を張り上げて全身全霊で歌っているわけでは無いように聴こえます。力一杯歌うというよりも、空を見上げながら、大事なものを想いながら、夜に吹く風に乗せていくような。まるで「ここで自分達は歌っているんだ」「この声がどこかに届きますように」といった優しい主張を感じます。

 そんな優しい主張とは逆で、メンバーの歌声の中には一つ一つの音を強く抱き締めながら振り絞って歌っているところもあります。サビ前の鶴拓やサビの高めのメロディーは特にそうですね。
 今例に挙げた高音パートって無難に上手くやろうと思えば高音が得意な人に全部歌わせちゃう事だって出来ます。でも、それをせずに高音のメロディーを握りしめるように歌うメンバーを配置しているのは、そのメンバーにしか出せない切実さが欲しいからなんですよね(これは決して歌の得意不得意の話をしてるわけではないですよ)。

 メンバーの歌声にはそういった切実さ、全力さを感じる部分がありますが、JO1以外の声が聴こえてくるコーラスパートはその全力を全て肯定して抱擁するとても大きな世界観が一気に広がっていきます。11人しかいなかった世界に、もっと多くの人間の姿が見えてくるんです。それはまるで、11人が持っている希望や願いを肯定して叶うように祈る姿、まさにその歩みを後押しする多くの人々が側に寄り添っているようで。ここで一気に連想されるライブ感が、アイドルとファンがやっと出会えたOTDのドラマチックなひとときを連想させているのかもしれませんね。
 アイドルのファンって、自分を認識してくれているかも分からない手の届かないアイドルをとことん大切に思っていて「彼らが幸せになれますように」「彼らがもっと輝けますように」という純粋な祈りを常に持っている存在だと私は思います。そんなファンの感情がこのコーラスにすごく集約されているのではないでしょうか。

 楽曲の中で世界観がどんどん広がっていく飛べるからですが、ラストでさらに加速していきます。4:18から、テンポを刻むドラムや弦楽器の弓を引く音のボリュームが上がって加速感が増していきます。特に打楽器の音の主張が大きくなるので、行進していくようなイメージが生まれていきます。最後の最後で推進力が爆発的に高まるんですよね。
 そのタイミングで歌詞も変化します。それまでは「いつだってここからさ いつだって飛べるから」という歌詞で始まっていたサビですが、最後だけ「いつだって独りじゃない いつだって傍にいよう」という歌詞に変化します。推進力の高まりと共に、言葉の意味合いが希望や祈りから確信に変わっているんです。楽曲は終わっても自分達は終わりではないと、これからも進んでいくんだと、確かな未来を最後に示す作りです。どれだけ泣けるような作りになっていたとしても、最後にこの構成がある事でスッキリした思いで曲を聴き終わる事が出来ます。



総括


 さて、今回も長々と書いてしまいましたが、ここらでまとめに入っていきます。

 私はJO1というグループを「良曲に恵まれたアイドル」だと思っています。デビューしてまだ2年ですが持っている楽曲がどれも粒揃いで、それはまるで良曲が湧き出る泉といって良いような。推し贔屓も入ってるかもしれませんが、彼らが歌い上げる楽曲にいつも楽しませてもらっています。
 ただ、今回配信された飛べるからに抱いた「良い」のニュアンスはこれまでと少し違いました。これまでも「JO1の楽曲は色んな人に聴いて欲しい」と思ってきましたが、この飛べるからに関しては「この楽曲はきっと誰かを救う音楽になるのではないか」という今まで感じなかった期待を覚えたんです。人の心に染み渡る音作りとメンバーのストレートな歌声は、きっと聴く人を選ばずに数多の人を癒して救い上げてくれるのではないでしょうか。それほどの救済の力が、この曲にはある気がするんですよね。どんな形でも良いので、多くの人の耳にこの楽曲が届く事を祈ります。

 「聴くものが、人生を重ねる時、音は初めて音楽になる。」これは私が好きな映画のキャッチコピーです。明日から公開される映画の中で流れるであろう飛べるからを聴きながら、あなたの人生の一部にあるJO1との思い出や楽しかった出来事を是非思い浮かべてみてください。

 きっとそこに、あなたがJO1に見ている本当の希望の色があると思います。



ミトラ

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