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カンボジアで、裸になって感じたこと

「あなたは今しあわせですか?」

出来立てのパスポートを握りしめて飛び立った先。
東南アジアの湖の上で聞かれたこの問いを、私は今でもよく覚えています。あのとき、ハイと言うことができなかったほろ苦い記憶と共に。

先生の言うことが正解。判断基準は、大人の言うこと。

私はごくごく普通の家庭に生まれ育ちました。
父親はサラリーマン、母親はその会社の営業事務。あの時代の女性にとっての憧れ、しあわせになれる王道コースの職場結婚をして、都心から電車で1時間ほどの、田舎と都会のちょうどいい部分を合わせたような小さな町に一軒家を建てました。

双子で生まれた私は、姉とお揃いの服を着ていました。4歳から小学校6年生まではクラシックバレエを習い、中学生になってからはソフトテニス部に入部し、高校まで続けました。

クラシックバレエはたまたま近所にスクールがあったので母親が決め、ソフトテニスは友人が決めました。中学を卒業するときに部活の顧問から高校でも続けなさいと言われ、その通りにしました。サッカー部のマネージャーをやってみたかったという気持ちはひっそりと隠して。

ある日の数学の授業中。何かの方程式を使って問題を解いていました。
ひとりの男子生徒が
「なぜこの方程式になるんですか?」
と質問しました。

え、方程式は方程式じゃん。
先生がこうなるって言っているんだから、そうなんだよ。

その時の私は、彼が方程式自体に疑問を抱くことがまったく理解できませんでした。親から言われたことが当たり前。先生が言っていることが正しいこと。部活の練習も朝早くから夜遅くまで、土日も朝から晩まで休みなし、ラケットで叩かれるのは日常茶飯事。今の世の中では真っ先に問題視されそうな状況でも、当時の私は何の疑問を持つこともなく、日々を過ごしていました。それにしてもよくやってたな…。

”日本人の価値観”という鎧をまとって飛び立った、人生初の外国。

人生初、外国の空港

大学生の春休み。初めてパスポートをつくり、日本を飛び立ちました。
行き先は、カンボジア。大学のサークル活動の一環で、新入生全員で行くツアーへの参加でした。
このツアーはスタディツアーといって、観光もしつつその国の歴史や貧困問題などについて学ぶような内容でした。

カンボジアの空港に降り立ち、最初に感じたのは恐怖でした。お財布を盗まれないように身を縮めて。周りにいるカンボジア人全員が敵のように見えました。

バスに乗り市街地へ向かう道中も、完全防御体制。まるで日本とは異なる景色に、心踊るどころか今にも泣き出しそうな気分でした。排気ガスや生ごみ臭でくさいわ、車やバイクの騒音はうるさいわ、道路もガタガタだし、もう最悪。お昼ごはんを食べる時も、水の衛生面があまりよくないから食器は使用前にティッシュで拭いた方がいいよとか、ハエはブンブン飛んでいるし、ヘンなモノ食べてお腹壊したくないし、というか喉通らないし。長時間のバス移動で気分悪くなるし、しょっぱなからヘビーな歴史の勉強で気持ちもどんよりだし、もう本当にしんどかった。

そんな状況が数日続きました。

鎧を脱いだら、世界が変わった。

カンボジアで活動している日本人とごはんを食べる会がありました。
「正直、結構しんどいです。臭いし汚いし、こうやって毎回食器拭くのとかもなんか嫌だし。荷物とかもいつ取られるんだろうってビクビクしながら過ごすのってしんどくないですか」

「そうかもね。でもさ、カンボジアの人たちにとってはそれが当たり前の日常なんだよね。臭いとか汚いとか思ってないし。ひとりひとりの、日常。それに、別にみんながみんな悪い人じゃないよね。きっと今はまだ、“私は日本人”という価値観でカンボジアを見ているからそう思うのかもしれないね。一度、カンボジア人になったつもりで、もう一度見渡してみたら?どう?」

カンボジア人になったつもりで。

そう思って周りを見たときに、私の頭の中にひとつの映像が浮かびました。
ホームベースほどの大きさの白いものが足元にあって、そこに立っている私、周りは暗闇。それが、足元の白がどんどん広がって、最終的には画面全体が白で覆われる。白い世界の中に立っている私。

ぱっと周辺を見渡すと、目に飛び込んできたのはカンボジア人の笑顔でした。さっきまでの騒音が、にぎやかな笑い声に変わり、目の前の料理がなんだかとても美味しそうに見えました。

その瞬間から、私はカンボジアが好きになりました。

素肌で感じて、五感で感じて。見えたもの。

トンレサップ湖

旅の終盤で向かったのは、トンレサップ湖という湖でした。ベトナムとの国境にある湖で、貧しい暮らしをしている人が多くNGOが支援活動をしているエリアです。スタディツアーは学習目的がメインなので、ツアー準備で事前にこの地域に関しての学習をしていました。

陸地で定住できる場所がないため湖の上で暮らしていること、魚を釣って食べたり売ったりしているけれど乱獲の影響で漁獲量が激減していること、湖の水は洗濯や食器洗いなどでも使用するが排泄もするため衛生面はかなり悪いこと、病気になっても病院に行けるお金が無かったり最寄りの病院までかなりの距離があったりで治せないことなど、いわゆる劣悪な住環境だということを知りました。

実際に現地に赴き、船に乗って集落を周りました。湖の色は濁っていましたが思っていたほど臭いはなく、事前学習で想像していた環境とは少し違った印象でした。

ある家では若者たちが集まってワイワイ騒いでいたり、雑貨のようなものを販売しているお店が並んでいたり、学校では子どもたちが元気に走り回っていたり。船がなければ暮らせないため、船の操縦は朝飯前というような感じで、小さな子どもでも楽々と操縦していました。皆いつも笑っていて楽しそうで、船に座ってぼーっと何をするでもなくたむろしているおっちゃんたちも和やかで、なんだかとても幸せそうに見えました。

「あなたは今しあわせですか?」

船で案内してくれていた15歳くらいの女の子が、聞いてきました。
私は迷うことなく「しあわせです」そう口から出ると思っていました。
けれども、私はその言葉を発することができませんでした。

しあわせってなんだ。

私たちが生まれたとき、日本はすでに”失われて”いました。
バブルがはじけて、右肩下がり。
核家族化、近所付き合いの希薄化、孤独死、リーマンショック、リストラ、年越し派遣村、年間自殺者3万人、ひきこもり、いじめ、不登校。

物質的に考えたら、日本の方が恵まれています。医療・教育体制や、治安、衛生面などは圧倒的に日本の方が便利だし綺麗だし。食べるものも多少お金があれば困ることはほとんどありません。
でも、それがイコールしあわせなのだろうか。

カンボジアの人たちは、なんだかみんなにこやかでした。日本人は?
いつも誰かと一緒にいて、笑いあって、助け合って、時間に追われることなく、自分たちのペースで過ごしている、余白のようなもの。自分たちの人生をちゃんと満喫しているような大らかさ。
そのときの私には、カンボジア人の方がしあわせそうに見えました。

しあわせは、自分で決める。自分が決める。

帰国してからも、あの質問のことはずっと引っかかっていました。
思えば今までずっと、しあわせとは何か、豊かさとは何か、考え続けてきたような気がします。明確な答えは出ていませんが、ひとつはっきりと言えることはあります。
それは、自分で感じて、自分で考えること。
もし、私がカンボジアに行っていなかったら。高校生のときまでの狭い価値観の上だけでずっと生きていたとしたら。考えるだけでもゾッとします。それになにより、クソつまらない(すいません)人生だったんだろうな、と思います。

これからの時代はますます、自分のしあわせをちゃんと自分で決められる人が輝ける世の中になっていくんだろうと思います。正解は自分でつくっていく時代。自分らしさを存分に発揮できる時代。ひとりひとりが自分の魅力を輝かせて生きる世の中、私はとてもワクワクします。

そんな時代で輝くために必要なのがきっと、自分自身を知ること、向き合うこと。そのための手段のひとつが、私は旅だと思います。
観光地をめぐるだけの旅ではなく、自然の中に身を置いて自分と向き合ったり、多様な文化や価値観に触れて凝り固まった頭をほぐしたり。海外に行かなくても、たとえば近くのお寺の歴史を深堀してみるだけでも、新たな気づきや発見がきっとたくさんあると思います。そういう面白さを私に教えてくれたのも、やっぱり旅でした。

アンコールワットと朝日

あれから約10年。

「あなたは今しあわせですか?」
「ハイ、とても幸せです」
「よかった。私もしあわせです」

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