70 or 71?

 今年は長崎開港450周年。

 ということに、なっている。長崎の港に、最初のポルトガル船がやってきたという年が1571年なんだそうだ。

 私もそれに準じて「ながさき開港450年めぐり」と題して本を出した。本の最後の奥付の発行日は「開港記念日」とされる「4月27日」に設定してある。しかしこのどちらも、絶対確定的なものではない。開港は1570年説と1571年説があるし、「4月27日」にしても、ある時、郷土史家やらなにやらが、あーでもないこーでもないと意見を出し合った結果、決められたものだ。ちなみに長崎市の「開港記念式典」は「400年」の時は、1970年に行われている。(私が生まれた年だ。400年目に生まれ、450年目に本を出すとは、ありがたいご縁である。)

 そういえば、二十六聖人の殉教地にしても、いまよりももっと上の方の丘だとされていた時代もある。雲仙の湯煎餅でおなじみの、吉田初三郎の昭和5年の鳥瞰図では、女風頭のもうひとつ奥の山の上に「二十六聖人受難跡」と描かれている。そこにはいま、イエズス会の施設があり、イエスさまの磔刑像がある(一般公開はされていないけれど、金網越しに見える)。それから様々な議論などがあり、戦後、いまの場所に定められた。歴史の研究や信仰の問題とはまた別に、現実的な大人の事情もからんでいたようだ。

 昔のことを考えるとき「正確」や「真実」の扱いは難しい。長崎開港であれば、町を作り始めた時なのか、ポルトガル船が入って来た時なのか、人によって違う基準を設定して、70年だ、いや71年だ、となる。歴史学者でも郷土史家でもない私としては、どちらでもいい、というより、どちらもあるのがおもしろい。異説珍説あればあるほど、その「異説珍説がある状態」が、いったいなんなんだろうな、ということを考えたい。それぞれの説を求める心は、どこから来ているのだろう、と。

 くんちの「庭見せ」が「キリシタンじゃないことを証明するために家の中まで見せた」って言われたり、「お諏訪さんの三つの神輿のひとつは、実はキリスト教の神様なのだ」とか。それが本当かどうかはぜんぜん別にして、その説が語られたり、ほんとっぽく聞こえるのはなぜか、いや、めぐりめぐってそれもまた「真実」なのかも? というような、歴史学者や郷土史家が通らないケモノ道に、そっと分け入っていきたい。

 しかし分け入るためには、まず山に登ってベースキャンプを張らなければ!ということも「ながさき開港450年めぐり」を作った理由のひとつでした。


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