「長崎手帖」を起こす

 去年の秋、中央公民館講座で「『長崎手帖』をよむ」という講座を開いた。「長崎手帖」は、昭和31年から42年まで全40冊発行の、長崎の町のあれこれが記された小さな冊子だ。これを、当時の時代背景などもあわせて読んでいった。

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 6週間で、全6回。途中、毎日の生活があまりにもその準備に明け暮れていくので「どうしてだろう?」と考えてみたら、その前の年にやった「少女たちの長崎地図」は、NBC学園での「長崎の生活史」講座がベースにあったけど、今度はまったくのゼロから作っていたのだった。毎週1回2時間、常に100枚オーバーのスライドを作り、しかも50人分のテキストを自分のプリンタで出力して製本するという作業もあった。私はこういう作業は変態的に好きなので、これはむしろご褒美だが、ひとつしかない体でお母ちゃん業もやっているし、どうしても時間に追われた。

 しかし、常に追い詰められた状況だったからこそ、集中して「よむ」ことができたようにも思う。私自身がおもしろくてたまらない状態で読み進めていたし、その興奮が冷めやらないうちにスライドとテキストを作り、講座で話したので、受講生のみなさんもその勢いに巻き込まれていく感じだった。全6回、ほとんどのみなさんが最後まで楽しんで受けてくださったし、最終回には「長崎手帖」の発行人である田栗奎作氏の消しゴムスタンプを彫っていったら、押したい方々が長い列をなした。受講生の年齢はかなり高く、最年長は90代ともお聞きしたが、みなさんニコニコとスタンプを押してくださった。

 講座が終わってからも、スライドとテキストを「よくやったなー」と見返すことがたびたびあった。なにより「長崎手帖」そのものが、このまま埋もれてしまうのはしのびない。高度成長期の中で、忘れられ、消えていこうとする、ひとつの町の記憶と風景。それを必死につなぎとめていたかのような小さな冊子のことを、もういちど掘り起こして、それこそをつなぎとめておきたいという気持ちが強くなった。

 なにごとも、形にしなければないのと一緒だし、形にしておけば、いつかだれかが、意外な形で見つけてくれるかもしれない。私もそうやって「長崎手帖」と出会った。これを作った人たちは、当時生まれてもいなかった人間が50年後に講座を開き、嬉々として語ることになるなんて、かけらも想像もしなかっただろう。

 「長崎手帖」をよむことは、たしかに「長崎マニア」的な楽しさもあるけれど、それだけにはぜんぜんおさまらない。昭和中期の時代の勢いからこぼれおちた、町や人にとって大切だったはずのものごとの姿が浮かび上がってくるようでもあるし、それはまた、失われたものは失われたものとして、ふたたび思い起こすことによって、新しい命を得るのだと教えてくれる。

 ということで、スライドとテキストを見ながら、脳内で講座を「再上演」して、それを書き起こす作業をしている。もちろん本として出版されるのが目標だが、とにかく目に見えるものにしておきたいので、「長崎手帖」にならって、手製の小さな本を作ろうとしている。「長崎迷宮旅暦」も、そうやって作った薄い本「ながさきエッセンス」が元になってできた。これも完全に自分でプリントして、中綴じホチキスで製本した。1冊500円で売ったのだけど、インク代が350円くらいかかっている。

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 1回2時間だったはずの講座だが、書き起こし始めると、ぜんぜん進まない。足りない資料を探して補ったり、本当は別の回で話したけれど、一緒に書いたほうがいいものを引っ張ってきたりで、ひたすらコツコツやるしかない。しゃべるのって、とんでもない情報量なんだな、とわかった。ホチキスで綴じて、製本するのも楽しみ。売ってみようかな。30冊くらい売れるだろうか?

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