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「愉気」ということー物でない人間の営み

今まで人間は物として研究されていました。そして意志で動いているという面が強く言われております。しかし物は、その定まった機能しか発揮できない。白墨なら字を書く事しかできない。そして書けば減っていくる。

ところが実際に生きている人間は、そういった一つの物として生活しているのではなくて、二人以上の人が集まって生活している。同じ一人でありながら、他のいろいろな物の影響を受け合って暮らしているのです。

そればかりでなく、自分の体の中にある力によって、不可能だと思うことをやろうとする。できないことをやりたい、難しいことをやってみたい。難しい条件に体を適わせて自分の体を変えていく。これを適応といいますが、そういうことが生きているということで、自分の中にある可能性を開拓するというだけでなく、不可能を可能にしていこうとするものが、みんなの裡にある。そして働けない人は働こうとする。貧乏な人は豊かになろうとする。

絶えず自分の中に何かをやろうとする、つまり、爆弾を体の中に作っているようなことをやりながら生きているのです。だからみんな現状のままでは不満であり、そして絶えず変わっていく。

ところが変わっていく中にも、自分から変わるものと、囲りの影響で変わるものがある。「顔色が悪いですね」と二、三人の人に言われると、つい自分は顔色が悪いのだと思い込む。あるいは「元気がない」と言われると、いつの間にか元気がないと思い込む。また野次馬なんていうのがあって、一人一人は考え深い人なのに、野次馬になると、何をするか判らない。デモも、整然としているうちはなんでもないけれども、一人が乱れるとみんな乱れてくる。

宴会でも、一人が酔って暴れ出すとみんなが乱れてくるように、自分の意志以外のもので動いてしまっている。そういう中で、自分の中にある力を壊すようなことも少なくない。一人一人には自制する力があって、こんなことではいけないと思っている。思っていながらやっぱりワイワイ騒いでしまう。

そういう自分以外の働きに左右されるという面がとても多いのです。 p14

健康生活の原理
活元運動のすすめ、、より

ー晴哉はつづくー。

ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。