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ビヨーンって思考を伸ばしていこ

なにを伝えるって結局は二極の使い方のようです。体なら片方に偏ると固まって歪むよ。

バランスって二つ(二点)が両方にあるから。その真ん中を中心にして、シーソーみたい、天秤棒みたいな絵のイメージ。これ確かに目の前の事柄しか見てない、どんどん相手しか見なくなる,それによって対象(相手)は決まり,私も決まるという関係性をずっと設定してあるのを使い倒している。

世の中見ると、また自分やその周りを見ると、いつも問題は色々ではあるけれど、これだなって思う。単純にシーソーなら自分上で居たい,だから下に押し付けておく。逆も然り、反動のような元へ戻ろうとする動き働きにギッタンバッタンする。


これは自分の中にもある。満たされないものや葛藤、頭、感情などを住まわせている。
けれどそれはいつも人との出会い,繋がりから生まれるがどう処理するのは自分自身。
どんな想像イメージを持とうが、他人との関係で現れ出るイメージや思いは、外側にその再現のように生まれ出て来る、あっと言う間の自己実現みたいだよ.


中にあるものは外に出る。外にあると思っているものが中にあるやつだ。見ているようで実は何を見ているにでしょうね。

戦争嫌だと言ってはしょっちゅう何かと戦ってたりするもの。無くならないやつら、、。


そういう想念というやつは、だき続けるとシナリオにもなる。少ない材料(経験)で多くを作り出す。…想念作りだったはずが想念目線で他者を見、決めつける。それが目の前にやって来ては、自分の想念の想像物だと思わない。
想念はそうやって想念だけを引きつける,クルクル回り。


時々ふと想念だと感じて、
後で違ったと言って修正出来る時も有れば無理だ!ただ受け入れるだけと言う時もある。


それを含めて頭の中の狭い作り上げた想念を想念だとあっさりと認めていくことは
自分に素直な態度、優しい姿勢だと思う。


できたらチャンスを作り私から離れていって下さい!と思うけど。止まらず居座らず離れて行って、、また来ても、また来ても。





上位は常に下位と繋がる。
よくヘルメス思想で上下は繋がって相互関係で成り立つ。両方がその関係性で保護されているわけで片方だけではない。それが次々と繋がって生きていると、いう法則。
…難しいから読まないけど(^^;; 昔から講座でいつも聞いていたグルジェフの話と図もそう言う内容。
https://phenix2772.exblog.jp/9973479/


この大きな構造を知っておくと、どこに居ても大きな場所からそれを(私)みてみる。



目先だけでものを見てるとあたかも間違い探しのように、違いを探すばかり。
元々違うのに。違うから生まれ出て来るのに…。



図を眺めているだけでも視野狭窄症から抜けられる。
年齢を重ねると身体能力は落ちる、脳の回転も記憶もグーンと、、頑張って上がった分落ちるのであります。
さらにそれは視野狭窄症を進めるだろう。最近もバイト先でよく経験する、気づいてないだ丸っ切り。
一人頭の中で競ってるのに視点は他人に向けている←これ多いよトリック。
頭の中の戦いを他人に向けてるけど?
なにに?焦り競いをしてる。


私もその一人に入るけど、トリックかかってるの年齢が長いから外すの大変な時間はいる。
が知った限りにおいては、、ね。

自らの無知の恐ろしさも知っている。また知らなくていいこともある事も知っている、認める。認めたら足掻かないから体は弛む、弛まないと新しいく動けない進まない、丸で石になるみたいに私には観える。


意識あるのとないのでは何かと違いが生まれます。
特に健康感はすごい差が出る。生き方全く違う。健康感は同時に死生観でもある。同じ。

好きに生きて好きに死ぬ。延命治療はお断り!が近いかも(私の場合)。

これこの間フランスに住んでるひろゆきが動画で言っていたけど、私もそれに近いと思った。好きに生きて好きに死ぬ、フランス人的傾向だと。
寝たっきりで意識もないのにたくさんチューブで栄養入れて(お腹いっぱいなのにビフテキ注入🥩)生きていればいい的なものは日本人的だと言っていたけど、
日本人のまだ根強い世間体と建前思考だろうと思った。
野口晴哉氏も同じだけど私はそっちが好みだと明確に言える,だからであった、引き寄った。




…簡単な表ではありますが、ありとあらゆるものが繋がり、我々はそこで生きている。
体が硬く弾力を失うような考えや思考癖は体が歪む。偏っても、しなる木のように弾力で戻ればいい。そこ大事なところだ、そんな生き方を言っているのだから。



…今は人間だから地球上🌏に居る限り、生まれては死へ向かっている、限りある体である。生きるものは死ぬ,けれど死ぬ事をやったぁー嬉しい事と思っているから、そういう生き方をしたいと思ってここまで生きてきた。



活元運動も瞑想も若返りのためではない。

若さと競う気もない。焦って足掻いてあれこれと飲んだり食べたりしがちだけど、それ健康じゃあないからだろうと思う。焦りに特攻焼きはない。自分の健康に流行りを追うことはない。
机の上が体にどういう働きに変わるかはその人に体にある。


拡大意識というには目先から思考を離してくれる。自分の中,他者との中、社会との関わりでその二極性を知り、二極性世界を生きるにはもう一つの視点を確実にする。


🍃🍂🍁

昨日行ってきた2019年台風で倒れた木、今行ってもまだそのエネルギーはあるし、土に還りながら新しい命をじっと育てている、、偉大な木たち自然たち、ありがとうと発して歩いて来た。人間は頭があるのに上手くまだ使えない一部しか、、
それも知る。



私の頭の視野狭窄症はゆるやかだぞーって👍

好奇心や冒険心で、
自分研究や実験でミクロはマクロへ,マクロはミクロへの繋がる回路なら素敵なことだなから

ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。