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生成AIの活躍について思うこと2

生成AIについて思ったことを書きなぐるpart2です。
part1は以下に。

業務に寄ったものとアーティスティックな利用に寄ったものも書いています。

先日、Twitterで画像生成AI及びその利用者に対する呪詛を垂れ流すアカウントを見かけたので、思ったことを書いてみたくなりました。

個人的には、画像生成AIの登場は音楽で言うところのVOCALOIDの登場と同じようなイメージです。

VOCALOIDが登場したからといって人間の歌手に需要がなくなるかと言えばそんなことはなく、むしろそれまでの音楽とは異なるジャンルを築きあげているし、なんなら人気の出たボカロ曲は人間の歌い手がカバーしたりしています。

だから、画像生成AIが登場したからといって人間の絵師に需要がなくなるかと言えばそんなことはないと思っていて、VOCALOIDを駆使した楽曲で人気を博しているボカロPみたいな感じで画像生成AIを駆使して人気になるクリエイターが出てくるだろうなとは思っていますが、絵師の仕事自体はなくなりはしないだろうとも思っています。

なんというか、画像生成AIのせいで仕事がなくなりそうな状況に瀕している絵師が「画像生成AI反対!!」とかなんとか言っているのをみると、「つぶれそうなイタリア料理屋のオーナーが、自分の店に客が来ないのをサイゼリヤのせいにしてサイゼリヤ撲滅運動をしている」くらいの印象を受けます。

サイゼリヤあるから個人経営のイタリア料理屋は要らないかと言えばそんなことはなく、「今日はサイゼリヤの気分」だったらサイゼリヤ行くし、「今日はちょっといいイタリアンが食べたい気分」だったら個人経営のイタリア料理屋にいくと思うのです。

「個人経営のイタリア料理屋」はサイゼリヤでは満たせない欲を満たすことができます。だからサイゼリヤがあったとて「個人経営のイタリア料理屋」が絶滅したりはしません。
値段はサイゼリヤより高いのに味がサイゼリヤ以下のイタリア料理屋があれば淘汰されるかもしれませんが、客側は味がサイゼリヤ以下の料理屋がいくつつぶれても困らないでしょう。

同様に、画像生成AIには満たせない欲を満たせる絵師はこれからも絵師を続けられ、画像生成AI以下だと判断された絵師が淘汰されていくだけのことかなあと思っているのです。

どれだけサイゼリヤを扱き下ろしたところでそのイタリア料理屋に客が増えることはないように、どれだけ画像生成AIやその利用者を扱き下ろしたところでその絵師に依頼がたくさん来るようになったりはしないと思います。

というのが「俺は血反吐を吐く思いで絵を描いている、画像生成AIは俺の生涯をかけてでもつぶす」みたいな投稿をみての感想です。

画像生成AIに負けないアピールポイントを見出したり磨いたりする方に時間をつぎ込むが有意義なのでは?、と思いました(小並感)

あと、個人的には「客は『血反吐を吐く思いをした時間』に金を払うわけではないよね」と思ったりもします。血反吐を吐く思いをしてほしいから依頼するんじゃなくて、絵を描いてほしいから依頼してるんでしょ、という感じです。

生成AIが強すぎる感は分かるような気がしますけどね。ターンアラウンドタイムでは人間は絶対勝てませんからね。だからこそ他のところで勝負しろよとも思いますが。

モヤモヤしていたことを吐き出して満足してしまったのでここまでとします。お読みいただきありがとうございました。

9/11 追記
タイムラインに「なんで生成AI関連の訴訟って、生成AI利用者への名誉棄損とかが多いんだろう」という投稿が流れてきてしまったので、ここで消化させてください。
超超超ド偏見で言いますが、生成AI利用者と対峙(対立?)しようとする人間は、どういうわけか生成AIに気を取られすぎて、相手が普通に人権も感情もある人間であるということを忘れてしまいがちです。生成AIを使っていない人たちに対してめちゃくちゃ悪意を持って生きている話の通じない化け物みたいに扱う人が少なくない印象を受けます。そんなわけないのに。倫理観と道徳心どこへやった、みたいな悪質な生成AI利用者もいるにはいるようですが、全ての生成AI利用者が悪意の塊なんてあるわけがありません。というか生成AI利用者に悪意のある言葉を投げつけている側の人たちこそ悪意の塊のように見えることがあります。そら訴えられるて、みたいな暴言を多く見ます。生成AIが絡んでいようがいまいが他人に対して暴言を吐いていいわけがありません。できることなら平和に建設的に常識にのっとって議論してもらいたいものです。ネットリンチダメ絶対。

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