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「普通に死ぬ~いのちの自立~」

貞末麻哉子監督 新作ドキュメンタリー映画
「普通に死ぬ~いのちの自立~」


ドキュメンタリー映画ですが、映画を観ているのに
無言の問いかけや、無言の確認が画面の向こうから
何度も何度もやってきます。


その人らしく生きてその人らしく死ぬ。
                 ◇
この映画はガチガチに固まった既成概念や
正論に縛られ、身動きしづらくなっている私たちに、
新しい考え方を提示してくれる希望の作品だった。

映画鑑賞=受動 ⇔ 貞末作品=能動の促し ←ここに
監督、貞末麻哉子がむんむん薫る(笑)。
全編を見終わって、脳内で数日反芻して、
あ?あのシーンはあそこの布石か。
あ、あのシーンはあそこと呼応か。と、わかってくる。
ちょっとした推理小説な赴き(笑)。

母(ケアラー)が病に倒れると入院か施設入所になってしまう医ケア者の実情
経済という錦を纏った正論がそこを曲がれ、進め、止まれ、そして、そこに収まれ。と幅を利かせる。
経済と正論の前で人々は思考を停止してしまったように正論に従い、ベルトコンベアに乗せられたように、正論が推し出す「枠」の中にはめ込まれていきます。
枠は「その人に添った形」ではなく、経済の正論側が運用しやすい形で、
その枠からはみ出してしまっても、経済の正論側に組み敷かれた者の目や耳には見えてはいるが見ない。聞こえてはいるが聞かない。

受動と能動。
膨大な情報が満載の本作品だが、「イクちゃん」という本編の登場人物
笑顔の少年を水先案内人に鑑賞者を当事者として考え感じさせる。
「イクちゃん」はよく笑ってくれる。
愛おしい笑顔を投げかけてくれる「イクちゃん」の新たな人生。正論は「その人」、唯一無二の「個人」ではなく、正論で「収まる」人を作る。
正論は、簡単に人を絶望の淵にはめこむのだ。と、充足と絶望のコントラストを見事にあらわしてゆく。

他人事ではなく、明日の私でもある程の「身近さ」に、それら正論(絶望)は存在しているのだ。と見せつけらる。
言葉を持たない人の笑顔と叫びと、そして笑顔。叫びのまま、絶望の中に閉じ籠られた、閉じ籠られている人々は、一体どれだけいるのだろう、と。
そして見えているけど見ないように、聞こえているけど聞かずに毎日を過ごす心も、やはり経済の正論の被害者だ。

映画は、絶望の中に沈み込もうとしている人を「正論からは逸脱の人」、でら~と設立代表者の小沢映子さんや、でら~と元副所長の坂口えみ子さんが、こんな考え方、こんなルートはどうか?!と、別の道を歩いてみることを見せてくれる。

また、兵庫県伊丹市の有限会社しぇあーど運営の施設、こうのいけスペースしぇあーどでは異端の人、李国本修慈さんを紹介してくれる。
ここには母亡きあとしぇあーどの2階で暮らしている重度障害の人がいる。週の数日を自宅で暮らし、土曜日の夕方にしぇあーどに戻ってくる人がいる。
この異端の人、李国本修慈さんが尊敬する異能の人、元青葉園園長の清水明彦さんが強烈だ。この方々のくだりは是非、映画で確認して頂きたい。
超すごい。震える。
感じる心と芸術は直結していると確信する。
そして。
高みから見ている=映画鑑賞者である「私」はどうだ?と、自分を、自分の概念を照らし直させられる。


その人らしく生きてその人らしく死ぬ。
                 ◇
この映画はガチガチに固まった既成概念や正論に縛られ、身動きしづらくなっている私たちに、新しい考え方を提示してくれる希望の作品だった。

 2020年9月「あいち国際女性映画祭2020」での招待上映を皮切りに
10月より 名古屋シネマスコーレ/東京キネカ大森
11月より 富士宮市イオンシネマ富士宮/大阪シネ・ヌーヴォ などで劇場公開を開始!

「普通に死ぬ〜いのちの自立〜」
予告編ダイジェスト版

https://www.youtube.com/watch?v=Ue3lL_HAG1Y&fbclid=IwAR0iFla66gLle8YZNCI_UjtKaao3YXwXULm-g16CbumcHV0fzI9F6nVnYM8#action=share

マザーバード
http://www.motherbird.net/








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