南北朝魏斉周隋名門一族
唐書を読んでいる暇が無いので、唐代の名族(南朝出身者)や突厥・ソグド人までは調べられない。
北魏の漢化政策は、漢人支配と遊牧民の有力氏族の弱体化の一環として行われている。漢人支配に関しては豪族に隷属していた小作農に口分田を与えることで独立させ力を削いでいる。ただし、文官に漢人が増えつづけている一方、軍事は遊牧民の有力氏族が占有し続けている。しかも北魏の漢化政策は道半ばで終わり、代わりに六鎮の軍人(遊牧民中心)が政権を乗っ取る事になる。北周時代には逆に鮮卑化政策が行われている。この鮮卑化により、タダでさえ分かりにくいこの時代の皇族の出自が鮮卑か漢人か分かりにくくなっている。従って漢化は隋代まで持ち越されるのだが、遊牧民特有の一番優秀なものが後を継ぐと言う風習と女性が内朝で強い部分は、唐代に持ち越され周武則天まで続くのである。さらにいえば唐の遊牧民的性質は実際には滅びるまで維持された。基本的に中国の政権は、遊牧民の時は外向的になり農耕民の時は内向的になる(満州人は半農半牧民なので農耕民的性質が強い)
以下は、北魏貴族を中心に適当に抜き出しているので実際のところいつからいつまで貴族だったのか分からない。例えば、鮮卑普六茹(楊氏)は、北魏では名前が出てこない。鮮卑宇文の伸長に伴い貴族化しれた可能性が高い。北周政権の中核を占めた武川鎮って要するに貧乏軍人集団だからなのかな。
北族八姓、漢人五姓は北魏の有力姓。八柱国、十二大将軍は北周の有力軍人
部族 氏本貫 漢姓 補足
鮮卑 択伐 元 北魏皇族 鮮卑択伐部 八柱国 十二大将軍
鮮卑 丘穆陵 穆 北族八姓
鮮卑 歩陸孤 陸 北族八姓 歩六孤とも
鮮卑 賀蘭 賀 北族八姓 十二大将軍 鮮卑賀蘭部
匈奴 独孤 劉 北族八姓 八柱国 匈奴独孤部
匈奴 鉄弗 劉 旧夏皇族 匈奴鉄弗部
鮮卑 賀楼 楼 北族八姓
鮮卑 勿忸于 于 北族八姓 八柱国
高車 紇奚 嵆 北族八姓
鮮卑 尉遅 尉 北族八姓 鮮卑尉遅部
鮮卑 達奚 奚 鮮卑択伐氏分家 十二大将軍
鮮卑 抜抜 長孫 鮮卑択伐氏分家
鮮卑 宇文 宇文 北周皇族 八柱国 十二大将軍 匈奴俟汾氏分家
鮮卑 侯莫陳 八柱国 十二大将軍
高車 破野頭 宇文 隋の武将
漢 范陽廬 廬 漢人五姓
漢 清河崔 崔 漢人五姓
漢 滎陽鄭 鄭 漢人五姓
漢 太原王 王 漢人五姓 十二大将軍 鮮卑可頻氏
漢 隴西李 李 漢人五姓 八柱国 唐皇族 鮮卑大野氏
漢 隴西李 李 十二大将軍 鮮卑擒抜氏
漢 遼東李 李 八柱国 鮮卑徒何氏
漢 殷州李 李 漢人五姓
漢 弘農楊 楊 十二大将軍 隋皇族 鮮卑普六茹氏
漢 渤海高 高 北斉皇族 下層鮮卑人の出身とされる
漢 天水趙 趙 八柱国 鮮卑乙弗氏
鮮卑 豆廬 十二大将軍 鮮卑慕容氏
匈奴 紇豆陵 寶 十二大将軍 匈奴費也頭部
契胡 爾朱 爾朱 契胡の詳細不明
丁零 鮮于 鮮于
なお元は全く漢化せず、清は逆に漢人を満化させている(服装、武器、風俗などが満化している。北京語は満州語の影響を受け、文法にアルタイ系の特徴を持っている。チャイナドレスは満州の民族服。儒教も骨抜きにされ考証学と言う古典研究が中心になる)のでプロパガンダに注意。
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