武士vs騎士と言う不毛な思考実験

 武士vs騎士のどちらが強いかと言う時々話をみかけますが、実はフルプレートアーマーの騎士は15世紀頃にしか存在しません。14世紀はまだチェインメールです。しかし、騎士の全盛期は12世紀なのです。要するに騎士は欠陥兵科で、装備を頑丈にすることで辛うじて生き延びていた兵科に過ぎません。頑丈にするほど、コストがかかる癖に歩兵に簡単に負けると言う情けない醜態を見せます。

 そしてこの手の騎士に対する武士という文脈の意味合い的には戦国時代の16世紀末武士とプレートアーマーを来た15世紀の騎士の戦いになるのでしょうか?実はこの1世紀の違いで武士有利が確定するのです。

 それでは、あえて16世紀末の武士団と15世紀の騎士団が戦わせてみましょう。

 ん?だれが一対一で戦うと言いましたか?騎士が一対一で行っていた馬上試合トーナメントは馬を狙ってはいけないなどうるさい限定条件下でしか成立しないスポーツですよ。

 ――と言う訳で、種子島でぶち抜かれて騎士敗北で終わるしょう。

 15世紀の騎士団は、鉄砲足軽に狙い打ちにされ、槍足軽にボロ負けする運命にあります。

 そもそも騎士が戦場から追い出されたのは、火器の登場とスイス傭兵のパイク歩兵にボロ負けしたのが大きな原因なのです。ヨーロッパの傭兵は、日本でいえば足軽に相当します。騎士は足軽にボロ負けして戦場から消え去るのです。

 そもそも武士のマルチウェポンぶりを舐めてはいけません。騎士はアウトレンジから武士に馬を鉄砲で討たれて終了です。接近戦になれば槍で殴りつけます。戦国時代の槍は打撃武器です。その衝撃は2tとか。メイスでぶん殴られているのとさほど変わりません。江戸時代の携帯刀や武術槍と一緒くたにしてはいけません。

 それでは全盛期同士を比較しましょうか?それでは武士代表として源為朝さんに登場して貰いましょう。

 アウトレンジから弓でプレートアーマーごと打ち抜かれて終了。鉄の板など為朝さんの鋼の鏃にぶち抜かれて終了です。為朝さんの矢は、槍を弓で射るようなモノですから、2mm程度の鉄の板など簡単に打ち抜いてしまうでしょう。義経の使っていた弱弓でもフライパンぐらいならぶち抜けますし、今時のフライパンの方がプレートアーマーより頑丈です。

 ヨーロッパが鋼をまともに作れる様になるのは19世紀以降の話なのです。

 最盛期の騎士の弱点は馬でした。馬を射貫けば終了です。お話になりません。

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