石鹸チートがなぜ無くならないのか

石鹸チートとは

 三大絶滅させるべき知識チートの一つ(石鹸、唐揚げ、でんぷん)そもそもヨーロッパ人が風呂に入らなくなったのは中世ではなく近世と言う罠。キリスト教会の暴走により消滅したと言う。ルネサンス以前は公衆浴場があったはず。

 そして理論的に石鹸が存在する世界(ナーロッパ)から石鹸を消滅させ、転生前の知識で石鹸を持ち込んで俺つえーするのが石鹸チートである。

なぜ石鹸チートは成立しないのか?

 石鹸の材料は、海草(なければ木)の灰と油(牛脂、羊脂)、そして石灰、中世のご家庭で作れるのでチートにすらならない、以上。

 海草を燃やして灰にしたものを水に溶かし、水溶液を油と混ぜて煮るだけでも石鹸になる。草木灰だとどろっとした石鹸になる。初期の石鹸は草木灰なのでドロッとしたものだが、12世紀頃に海草灰を使う個体石鹸が広がっている。近世でもスペインやアメリカのご家庭で作られていたぐらいの代物だ。ここからパワーアップするには石灰石か貝殻を集める必要がある。ちなみに中世でも石灰石は手に入る。

 しかしこの、植物(オリーブオイル)、海草灰(ソーダ)、少量の石灰を使う石鹸は12世紀スペインで作っていた石鹸そのものであり全くチートにならないのだ。海草灰ではなく昔ながらの草木灰(カリ)を使えば液体石鹸も作れる。問題はそれを入れる容器の方だ。保管や輸送を考えるとこの時代は固形石鹸の方が便利なのだ。

 なんてことが書いてあるサイト。

 これは、14世紀のイギリスで作られていたカリウム石鹸のレシピ。海草灰が手に入りにくいのか木灰を使っている。カリウム石鹸は固形化しにくいので小麦粉のでんぷんで固めている様である。

本当の石鹸チートとは?

 このように石鹸自体が存在するので石鹸はチートとして成立しないわけである。そのため石鹸チートをするのなら油からグリセリンを分離して、脂肪酸のみにする必要がある。工業的に行われる250℃ 55気圧のコルゲート・エメリー法は割と難易度高い。高圧に耐えられる窯、温度計、気圧計が居る気が……。結局、計測器と工作機械の問題になりそう。ところでグリセリンを分離するのにコルゲート・エメリー法を実現するのと脂肪の分解酵素リパーゼを放出する菌を発見するではどちらが楽なのだろう?

 なおグリセリンが分離できれば化粧水も作れる。つまり分離すると二度美味しいのだ。そして肌に優しい材料や洗浄力の強い材料に切り替えるのだ。そのため油の代わりに石油系やアミノ酸系の材料などを用意する必要がある。

中世ヨーロッパに石鹸が存在する理由

 中世ヨーロッパに石鹸が存在する理由はローマ時代に既に存在していたからだ。そして石鹸がなぜ発見されたかと言えば、どうも生贄の儀式の時に出てくる廃液で汚れがよく落ちたかららしい。

 そうすると牛や羊を生贄にして木をくべてて焼いている途中で雨が降ってきて脂と木灰が上手いぐあいに鹸化したものが石鹸の起源になるのだろう。それが紀元前3000年前にメソポタミアで既に発見されているわけである。この時代は頻繁に犠牲の儀式が行われている。旧約聖書を見ると牛、羊、山羊などを捧げていたのがわかるし、食用にしてはいけないので焼き尽くしていただろう。この焼き尽くす儀式が石鹸の発見につながったと考えられる。

 最初に書いた様に材料が少なく割と簡単にできる。作り方が分かっている中世に於いては石鹸は家庭でも作られていたのだ。

なぜ石鹸チートがまかり通るのか?

 中世ヨーロッパに存在する石鹸のチートがナーロッパで蔓延る理由を考えるとそれは日本に石鹸が入ってくるのが江戸末期だからだろう。西洋では紀元前から存在した石鹸が日本には長らく存在しなかった。石鹸を発明するには生贄の儀式に牛を使わないと行けないのかも知れない。そもそも日本には弥生時代に牛が居ない。半島から来た生贄の儀式は禁止されている。要するにこの偶然が起きえない。石鹸チートを持ち込むのは西洋に関する知識が欠如しているのが原因だろう。

 そもそも日本では油は貴重であり、その大半は灯火用に使われて居た。潤沢と言えないまでも一般に出回り食用に使われるのは江戸時代である。そのため日本で使われて居たのは灰汁(要するに炭酸カリウム)だったのである。

 石鹸は中国でも発見されていない。そういえば中華文明で生贄の儀式に使って居たのは人間。もとい、天に捧げた牛さん、羊さん、豚さんは「スタッフが美味しくいただきました」形式だったので、石鹸に至らなかったのだろう。

※ このシリーズ、そろそろ大学化学の本漁らないと駄目だな……。

#なろう系考察 #化学 #エッセイ


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