辺境伯は辺境にあるとは限らない

 そもそも爵位がどこから来ているかと言う問題になるわけですが、フランク王国起源の爵位は元々貴族の称号ではありません。

 このあたりの認識齟齬が起きる原因は、和訳する際、周の五爵をヨーロッパの貴族制度に無理矢理割当てた所為だと思われます。そもそも日本語では公爵と侯爵の同音だからこの割当は避けるべきだった気がする。あとヨーロッパの爵位は国や地域でずれが大きく強引に訳している例も多数あります。典型的なのはPrīnceps(ラテン語で第一人者→元首)が語源になるPrinceでしょうか?王子、君主、大公などと訳されています。

 フランク王国の爵位は、役人の官職が起源になります。東西分裂後、国王実質不在の状況が続くと官職の世襲化が起き、貴族の称号と変わるわけです。そこから再統一したフランス王国と王家が断絶した神聖ローマ帝国で爵位の変化が見られます。

 神聖ローマ帝国の場合、公爵・伯爵の2つが官職に起因し、男爵は在地地主に与えられた様です。

 イギリスのDukeはラテン語のduxが語源になりますが、神聖ローマ帝国ではHerzogです。Herzogはduxの訳語の様です。ラテン語のduxには指導者と言う意味があります。戦争時のリーダーと言う役職なので超訳すると将軍でしょうか。Herzogの本来の役割は部族をまとめる仕事です。意訳すると族長でしょう。初期の族長の領域は広大でした。そのためこの時代の公爵を部族大公と呼ぶ場合があります。広大な領土をもつ家臣は皇帝にとって危険なので部族領は徐々に分割解体されていきます。この分割されたものが公爵領になります。

 伯爵はイギリスではcount、神聖ローマ帝国ではGrafになります。イギリスの伯爵はcomitatusが語源になります。直訳すると(皇帝の)随伴者と言う意味らしいです。どうやら3-4世紀のローマ帝国は皇帝が官僚を引き連れ戦地に赴いており、その官僚が世襲貴族化したものらしい。Grafはcomtitatusの訳語の様です。

 神聖ローマ帝国に侯爵と子爵に相当する爵位は本来存在しません。

 Fürst(Princeの訳語)と呼ばれていた貴族が最終的には公爵と伯爵の間に位置どりしましたが侯爵と訳したり公爵と訳したり、訳語が一定していません(リヒテンシュタインなど)。元々Fürstは皇帝の陪臣が多く、伯爵にも公爵にもルーツを持たない代官が貴族化したものだからでしょうか?

 フランスとイギリスの子爵号は、vicomte、viscountと書きます。vi- vis-と言うのは、ラテン語のviceで、現代英語でも副大統領(や副社長)の事をvice-presidentと言います。要するに副伯爵です。

 それでは辺境伯(Markgraf)とはどういう性質のものでしょうか?ドイツの伯爵にはいくつか種類があり、宮中伯(Pfalzgraf)、城伯(Burggraf )と言うものがありました。宮中伯は直訳すると大臣ですが、最後の方は目付だったようです。宮中伯は封建化ともに弱体・消滅しました。最後まで残っていたのはラインに土着したライン宮中伯のみでした。そのため宮中伯は一般的にライン宮中伯のことを差します。城伯は意訳すると城主・城代です。本来は、皇帝や司教の代わりに城を守り、それに属する都市や領土を警備する役職でした。それが世襲貴族化したものです。城伯も形骸化し消滅したようです。例えば、後にプロシア王国になるホーエンツォレルン家は、ニュルンベルク城伯でしたが、本拠地はアンスバッハにありました。勢力を拡大したホーエンツォレルン家が1415年ブランデンブルク辺境伯の爵号を入手すると、ニュルンベルク市との確執もあり1427年城もろとも売却してしまいます。別の例をあげるとマクデブルク城伯があります。マクデブルク市は1188年に皇帝から自治権を取得しています。しかし、その後もマルデブルク大司教が支配権を行使し続け、対立があったようです。1294年マルデブルク大司教からマルデブルク市長(Schultheiß)と城伯の権利を買い取り、名実ともに自治を確立しました。一方、オランダでは城伯は子爵と同義になったようです。

 宮中が役所、城が都市であるなら辺境伯の辺境は、国境を指します。つまり辺境伯は国境警備隊長でしょうか?実は、辺境伯を置かない辺境領もあってカール大帝の設置したスペイン辺境領と言うものがあります。スペイン辺境領は、サラセン人に対する前線になり、ここでスペインと言うのはカタルーニャ付近の事になります。スペイン辺境領はレコンキスタの起点になります(実際には北西にあったバスク人国家の方が主力みたい)。

 神聖ローマ帝国に於いても東側(スラブ方面)は開拓余地がある僻地ですが、西と南側の国境は文化の中心地に近い方です。辺境伯=辺鄙な土地の伯爵にはなりません。

 フランス、イタリアなど隣接する係争地が多い関係で戦乱で消滅したり、逆に公爵、大公化したりで、辺境伯がほぼ消滅しただけの様です。

 東側の辺境伯で有名なのはブランデンブルク辺境伯で、西側ではバーデン辺境伯になります。ブランデンブルクはド田舎ですが、バーデンは都会です。

 消滅した辺境伯の中にはアントウェルペン辺境伯(アントワープのこと)と言うのがありまして本国(神聖ローマ帝国)の方が桁違いに田舎です。

 オーストリアも元々は辺境伯領の様です。オストマルク辺境伯(東方辺境伯)をルーツとする辺境伯領で公爵領に昇格して消滅しました。

 このMark、イギリスで侯爵を差すMarquessやフランスに於ける侯爵を差すMarquisと同義になります。つまりイギリスとフランスでは辺境伯と侯爵は同じものを差します。Marquisは、Lord of the marchと言う意味があります。marchには境(border/edge)と言う意味があり、Lordは君主を差すので直訳すると辺境の君主、すなわち辺境伯になります。

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