宋史日本國伝を読む(1)

 編纂が酷いので有名な宋史だが日本國伝も例外ではない。その代わり、素の資料をそのままぶち込んでいる。その理由は、大元ウルスは、国の正統性を古代中国に求めないから歴史を歪曲する必要がないのだ。最も編纂に参加した官僚達が自己正統化をしているだろう。言い替えると元に取って、宋の中華王朝としての正統性などどうでもよいのだ。元に取っては、華北も華南も朝鮮半島も等しくモンゴルの占領地の一つに過ぎない。儒教の礼で蛮族を区別するような面倒なこともしていない。モンゴル人から見れば南人(中国人)が一番蛮族だったのだろう。日本國伝も東夷伝ではなく外国伝の中に入っている。蛮夷伝はおおむね蜀荊闽などの南人(中国人)居住区のことが書かれている。そういう点が儒者には気に入らないので必要以上に叩いたのだろう。

 編纂期間が短すぎた所為で、一貫性の無さと誤字脱字・ケアレスミスが多すぎる方が問題。

 宋史日本國伝を読む理由は旧唐書倭国伝と新唐書日本伝の中身が書きかわった理由を調べるために必要になるのだ。恐らく、新唐書日本伝は編纂者の欧陽脩が自ら書き直させている。欧陽脩は自ら日本刀の歌を詠むぐらいには日本の事を知っている。それまでの史書の編者と違い、日本は名前も知らなず見たこともない未知の国ではないのだ。それは恐らく新唐書日本伝の中にも組み込まれているだろう。知らない事を書き写すのと知っている事を書き写すのは全く異なるのだ。知らない事を書き写せば誤字脱字が出てもそれを校正したときにも誰も気がつかずにそのまま流れてしまう可能性がある。宋史日本國伝はまさにその状態になっている。文書を右から左に写しただけなのに誤字だらけなのだ。しかし、知っているなら別だ、あきらかに間違えている部分はできるだけ書き直させるだろう。

参考 (https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&res=975976)

日本國者,本倭奴國也。

 どうすれば、もと倭奴國と書けるのか分からない。新唐書日本國伝の記述に後漢書倭伝の記述をつけたしたのか?

自以其國近日所出,故以日本為名;或云惡其舊名改之也。

 隋史倭国伝と新唐書日本伝を読み比べた結論だろうか?

其地東西南北各數千里,西南至海,東北隅隔以大山,山外即毛人國。

「東西南北各數千里」  どこから……。

「東北の隅は大山で隔離されて、山をでるとそこは毛人國」がどこから出てきたのか不明。どちらかというと高麗に関する記述みたいだが、山と海を書き間違えたとか?

自後漢始朝貢,歷魏、晉、宋、隋皆來貢,唐永徽、顯慶、長安、開元、天寶、上元、貞元、元和、開成中,並遣使入朝。

 後漢書、三国志、晋書、宋書、隋史、新唐書の各伝から抜き出したようだ。

雍熙元年,日本國僧奝然與其徒五六人浮海而至,獻銅器十餘事,並本國《職員今》、《王年代紀》各一卷。奝然衣綠,自云姓藤原氏,父為真連;真連,其國五品品官也。奝然善隸書,而不通華言,問其風土,但書以對云:「國中有《五經》書及佛經、《白居易集》七十卷,並得自中國。土宜五穀而少麥。交易用銅錢,文曰『乾文大寶』。

 奝然が来僧したときの記述が詳しくかいてある。《職員今》と《王年代紀》の二冊がキーになりそう。

畜有水牛、驢、羊。多犀、象。

 ここに、東南アジアらしき描写が混入している。どの国かは知らないけど。どうも正史はこの手のチョンボが非常に多い。

產絲蠶,多織絹,薄致可愛。樂有中國、高麗二部。

「樂有中國、高麗二部」 平安時代の雅楽は唐楽・高麗楽の2つがあるが、唐を中国と書き直した模様。

四時寒暑,大類中國。國之東境接海島,夷人所居,身面皆有毛。

 「四時寒暑,大類中國」 四季は大体中国と同じ。
 「國之東境接海島,夷人所居,身面皆有毛。」 蝦夷地の話だろうか?

東奧州產黃金,西別島出白銀,以為貢賦。

別島 按日本無「別島」,「別」係「對」字之誤,見諸蕃志校注卷上倭國條注一0及注一九。

 恐らく、別島は但馬の写し間違い(この時代の銀の産地が但馬の生野銀山ぐらい) 注は対馬の誤字としているが対馬に銀は無い。要するに注もおかしい。

《奝然》さん、「たじま」を書こうとしてど忘れし、他島たじまと書いた可能性があり。それを読んだ方が別島と解釈した可能性が一番高そう。筆談したみたいなので。

※ 追記:実は対馬で銀が取れた時代が二回あるらしい。二回目は江戸中期頃で、第一次シルバーラッシュ時代の対馬に言及しているのかも

 これの文を見て黄金の国と勘違いされた可能性大。

國王以王為姓,傳襲至今王六十四世,文武僚吏皆世官。」

 天皇に王をもって姓とすると言っている(新唐書の其王姓阿毎氏と同じ意味かな)。編纂時に天皇をわざわざ王と書き直した関係で多重書き換えが入り混んで意味不明になった感が否めない。

 来宋リストが坊主と漂流者の記録ばかり、この部分を読み下すとしたら(3)でやるかな。

1. 984年 僧奝然ちょうねんと従者五ー六人
2. 988年 奝然の弟子喜因
3. 1002年 滕木吉(もきちの音写?)
4. 1004年 僧寂照一行八人(円通大師)
5. 1026年 太宰府の方から
6. 1072年 僧誠尋(成尋・善慧大師)
7. 1078年 使通事 僧仲回(不明)
8. 1173年 (平清盛の日宋貿易)
9. 1175年 倭船火兒(船頭) 滕太明(トン・タイミン。名前に日本人感がない) 偽倭の可能性もある
10. 1176年 漂流者100余人
11. 1178年 漂流者73人
12. 1193年 漂流者
13. 1200年 漂流者
14. 1202年 漂流者

扱いが年々雑になる。

日本國伝の奝然ちょうねんの「王年代紀」の引用部分。

天彥尊=ニニギ
炎尊=山幸彦
彥瀲尊=ウガヤフキアエズ
だろうか?

記紀と大きく異なるのは
アマテラスをスサノヲの次の世代にしている点
別天津神ことあまつがみを系図に入れ込んでいる点
記紀の別天津神は七代だが、王年代紀は十六代。
神武天皇の即位年が7年繰り上がっている(BC667)
日向から大和に遷都したことになっている。
神功皇后を天皇としてカウントしている。
神功皇后をオオナラヒメオオカミとして祀っていた可能性。

神功皇后をカウントして、弘文天皇をカウントしていないので、今とトータルは同じ。

この系図が東大寺に伝わっていたものかは分からない。


其年代紀所記云︰初主號天御中主。次曰天村雲尊,其後皆以「尊」為號。次天八重雲尊,次天彌聞尊,次天忍勝尊,次瞻波尊,次萬魂尊,次利利魂尊,次國狹槌尊,次角龔魂尊,次汲津丹尊,次面垂見尊,次國常立尊,次天鑑尊,次天萬尊,次沫名杵尊,次伊奘諾尊,次素戔烏尊,次天照大神尊,次正哉吾勝速日天押穗耳尊,次天彥尊,次炎尊,次彥瀲尊,凡二十三世,並都於筑紫日向宮。

彥瀲第四子號神武天皇,自筑紫宮入居大和州橿原宮,即位元年甲寅,當周僖王時也。次綏靖天皇,次安寧天皇,次懿德天皇,次孝昭天皇,次孝天皇,次孝靈天皇,次孝元天皇,次開化天皇,次崇神天皇,次垂仁天皇,次景行天皇,次成務天皇。次仲哀天皇,國人言今為鎮國香椎大神。次神功天皇,開化天皇之曾孫女,又謂之息長足姬天皇,國人言今為太奈良姬大神。次應神天皇,甲辰歲,始於百濟得中國文字,今號八蕃菩薩,有大臣號紀武內,年三百七歲。次仁德天皇,次履中天皇,次反正天皇,次允恭天皇,次安康天皇,次雄略天皇,次清寧天皇,次顯宗天皇,次仁賢天皇,次武烈天皇,次繼體天皇,次安開天皇,次宣化天皇。次天國排開廣庭天皇,亦名欽明天皇,即位十三年,壬申歲始傳佛法於百濟國,當此土梁承聖元年。

次敏達天皇。次用明天皇,有子曰聖德太子。年三歲,聞十人語,同時解之。七歲悟佛法于菩提寺,講聖鬘經,天雨曼陀羅華。當此土隋開皇中。遣使泛海至中國,求法華經。

次崇峻天皇。次推古天皇,欽明天皇之女也。次舒明天皇,次皇極天皇。次孝德天皇,白雉四年,律師道照求法至中國,從三藏僧玄奘受經、律、論,當此土唐永徽四年也。次天豐財重日足姬天皇,令僧智通等入唐求大乘法相教,當顯慶三年,次天智天皇,次天武天皇,次持總天皇。次文武天皇,大寶三年,當長安元年,遣粟田真人入唐求書籍,律師道慈求經。次阿閉天皇,次皈依天皇。次聖武天皇,寶龜二年,遣僧正玄昉入朝,當開元四年。次孝明天皇,聖武天皇之女也,天平勝寶四年,當天寶中,遣使及僧入唐求內外經教及傳戒。次天炊天皇。次高野姬天皇,聖武天皇之女也。次白璧天皇,二十四年,遣二僧靈仙、行賀入唐,禮五臺山學佛法。次桓武天皇,遣騰元葛野與空海大師及延歷寺僧澄入唐,詣天台山傳智者止觀義,當元和元年也。次諾樂天皇,次嵯峨天皇,次淳和天皇。次仁明天皇,當開成、會昌中,遣僧入唐,禮五臺。次文德天皇,當大中年間。次清和天皇,次陽成天皇。次光孝天皇,遣僧宗睿入唐傳教,當光啟元年也。

次仁和天皇,當此土梁龍德中,遣僧寬建等入朝。次醍醐天皇,次天慶天皇。次封上天皇,當此土周廣順年也。次冷泉天皇,今為太上天皇。次守平天皇,即今王也。凡六十四世。

畿內有山城、大和、河內、和泉、攝津凡五州,共統五十三郡。東海道有伊賀、伊勢、志摩、尾張、參河、遠江、駿河、伊豆、甲斐、相模、武藏、安房、上總、常陸凡十四州,共統一百一十六郡。東山道有通江、美濃、飛驒、信濃、上野、下野、陸奧、出羽凡八州,共統一百二十二郡。北陸道若狹、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡凡七州,共統三十郡。山陰道有丹波、丹彼徂馬、因幡、伯耆、出雲、石見、隱伎凡八州,共統五十二郡。小陽道有播麼、美作、備前、備中、備後、安藝、周防、長門凡八州,共統六十九郡。南海道有伊紀、淡路、河波讚耆、伊豫、土佐凡六州,共統四十八郡。西海道有筑前、筑後、豐前、豐後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩凡九州,共統九十三郡。又有壹伎、對馬、多[礻+執]凡三島,各統二郡。是謂五畿、七道、三島,凡三千七百七十二都,四百一十四驛,八十八萬三千三百二十九課丁。課丁之外,不可詳見。皆奝然所記云。

 あまりに誤字脱字が多い。誤字なのか異字なのか分からない奴もある。

孝天皇 → 孝安天皇(脱字)
持總天皇 → 持統天皇(誤字)
阿閉天皇 → 元明天皇のこと(諱読み)
皈依天皇 → 元正天皇のこと(誤字くさい)
天炊天皇 → 大炊天皇の誤字か淡路廃帝のこと(淳仁天皇は明治の諡号)
高野姬天皇 → 称徳天皇の別名
諾樂なら天皇 → 平城天皇
白璧天皇 → 光仁天皇のこと(諱読み)
天慶天皇 → 朱雀天皇のこと(年号読み)
封上天皇 → 村上天皇(誤記)
守平天皇 → 円融天皇(諱読み)

 多分(2)に続く。





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