肉食を辞めるのが非合理な理由

 肉食を辞める利点を水資源とたんぱく質スコアだけで計算していないか?これが大きな誤りなのである。

 いかに食物を大量生産したといえども可食部はごく僅かなのである。それ以外は食べられない部分である。とはいえ非可食部は燃料に使える(現状はなぜか可食部の方を利用している)し肥料や飼料にも使える。

 しかし人間は植物の大部分を消化出来ない。その理由は、植物の半分がセルロースで構成されているからだ。それ以外の消化できないリグニンやヘミセルロースも含めれば実に90%が食べられない部分である。セルロースがグルコース(ブドウ糖)で構成されているのにもかかわらず人間だけではなく哺乳類はセルロースを分解することが出来ない。草食動物はセルロースを自力では無く体内にいる微生物で分解している。

 要するに人間は草食動物ではないのである。本来、肉食動物だったようで植物の一部を食べることが出来る様になっただけにすぎないのだろう。

 したがって最大効率を目指すのであれば人間に食べられないセルロースを分解して可食出来る様に変換するサイクルを途中に入れ込む必要があるのだ。しかもセルロースから作れるのはブドウ糖だけであり、そこからたんぱく質やビタミンを合成する必要がある。現状、このプロセスを行いもっとも安く供給できるのは肉である。

 ところで樹木が地上に出現したとき、これらを分解出来る生物は存在しなかった。樹木自体が今で言うプラスチックだったのである。それもプラスチックの万倍や億倍の規模で存在したのである。そのため木が倒れても腐敗せずそのまま蓄積していったわけである。地面一面が木で埋まっていたのであろう。そのため、この時代を石炭紀と呼ぶ。大地に分解されず埋め尽くされた樹木が自重で押しつぶされていき地熱などで変質し石炭に代わったからしい。分解されることなく蓄積されるのは今で言う環境破壊である。要するに植物は世界規模の環境破壊を行っていたのである。無論この樹木無双の時代は永続しなかった。セルロースやリグニンを食糧とする細菌やキノコが生まれたからだ。しかしそれには1億年もかかっているのである。つまり1億年ものあいだ植物は環境破壊を行っていた訳である。

 今はそれは起きない。なぜなら木が倒れるとセルロースやリグニンを栄養とする細菌が繁殖し腐蝕を始めるからである。

 そういうわけで人間は自力で植物の大半を食べられないのだ。必ずワンクッション挟まないと行けないのだ。しかも農耕できる範囲が限られているからなおさらである。農耕作物は、セルロースの部分を減らして可食部を最大化する様に品種改良したものであるが全て食べられるわけではないし育てられる訳でもない。それ以外の部分や地域ではセルロースを分解するしかないのだ。しかし可食部を考えず肥料と飼料の用途だけなら雑草で十分なのである。しかも雑草を育てる方が育成コストが安いのである。もし、このまま人口が増え続けるとセルロースを人間が食べられる様にしないと人口維持すら出来ないだろう。その理由は地球の大半が農耕に適さないからである。最終的には農耕に適さない土地からも食糧を採取する必要に迫られるだろう。その為にセルロースをたんぱく質に変換するプロセスが必要になる。これが肉食を辞めてはいけない合理的な理由だ。

 そもそも牧畜と言うのは農耕が難しい地で草木を動物に食べさせることで人間が食べられる様にする行為だったのである。農耕が難しい地が減ったわけでも無いのに肉食を辞めるのは生命に対する冒涜である。それが許されるのは、可住地のほぼ全てが高収量の農耕(つまり稲と豆の二毛)可能な土地ぐらいだろう。

 現状、家畜の飼料には可食部も使って居るわけだが(デントコーンなど)、ここにもトリックが潜んでいる。これら飼料用作物は人間が食べられないような不味い代物を量優先で作っているからだ。同じ単位収量で市場に流通出来る穀物は栽培出来ないのである。それは味や食感を犠牲にしているからだ。収量を大幅に増やすことで単位面積あたりのたんぱく質生産量はそのまま人間が食べるより下がっているのである。デントコーンの収量を127t/ha(日本は50t/ha)とすると牧草は59t/ha(日本は30t/ha)、大豆は30t/ha(日本は9.8t/ha)なのだ。要するに大豆をそのまま食べるよりデントコーンから鶏肉や卵を作った方が単位面積あたりの収量は大きいのである。100gあたりのたんぱく質量を考えると豚肉も良い勝負になる。しかも飼料は大豆やエンドウ豆の育成に適していない土地でも栽培可能と言う利点がある。

 つまりこの手の議論は耕作可能な土地の総量を変数に入力していない詭弁なのである。

 現在の科学において肉食を辞めると言うのは、食べ物の一番うまい所だけをつまみ食いして残り全てをゴミ箱に投棄すると言う非常に食べ物を粗末にした冒涜的な行為なのである。

 そして、将来的は非可食部の利用効率を最大にする方法が発明され持続可能な成長を可能にするのだろうが、それには科学の進歩を待つしかない。しかし培養肉はディストピア感が半端ないし、植物肉は加工にかかるエネルギーコストが微生物よりかかって非可食部の有効利用が出来ない気がするけどなぁ。

 そして太陽光は食糧とエネルギーで奪いあいの関係にある。その総和も限界がある。その限られたリソースで、生物を維持するには、できるだけ食物連鎖のサイクルを深くする必要があるのだ。

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