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饅頭の語源は何語なのやら

 饅頭は日本語では「まんじゅう」なのだが、中国三国時代の発音ではマントウになるはず。饅頭は伝説によれば、諸葛亮が南蛮で河川の神を沈める為に人の首を捧げていたのを小麦を練り頭の形にしたものを代用としたことが起源になっている。そうすると蛮頭が本来の綴りになるが、どうも作り話にしか見えないので西域から先にマントゥと言う食べ物が入ってきて、それに宛字したと考える方が合理性が高い。だいたい、漢語だと蒸餅にならないかなこれ?実際、晋書ではそう書いてあるし。

 後漢の時期に小麦の製粉技術が西域から入ってきており、それと一緒に入ってきた食べ物だと考えるべきだと思われる。中国の小麦製粉技術はトルコ(アナトリア)を経由して西域から入ってきているのに食べ物だけが中国から西域、トルコ(アナトリア)に向かう方が合理的におかしいわ。

 しかし、マントゥの語源が何であるかと言うと謎が多すぎる。トルコ語のマンティ、モンゴル語のマントゥも語源が分からない。

 ふと気がついたのが、ラテン語で「覆うもの」をmantellumと記述する点。古代ギリシャ語でも似た語形を取る(マントルと語源が同じ)これより古い印欧語から派生した可能性。印欧語圏で、肉や野菜を小麦粉で覆ったたべものをマンティーヤ(正確な語形は分からない)などと呼び、それがマンティ→マントゥと変化したとか?そうなるとアナトリアの古印欧語を調べないと饅頭の語源は分からなさそう(ヒッタイト語、フルリ語あたり?)

 この辺りまで調べないとトンデモ言語学で終わる訳けど、よく考えると中国に小麦の製粉技術が入ってくるのはローマ帝国時代だからラテン語かギリシャ語のレシピを探せば――そんなのないんだよねぇ。現存する最古の古代ローマのレシピ本「アピキウスの料理書」で5世紀だし。ペルシア語からは類型は見つからない。そうするとアナトリア周辺の遊牧民の料理が怪しいと思うのだけど、トルコ化、アラビア化しているから痕跡さがすのが大変そう。


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