ノーフォーク農法が要らない農業革命

 「八十年戦争から産業革命」まで踏まえて、農業革命(人口革命)・産業革命が起きそうな地域をピックアップしてみる。

 気候的には温暖湿潤地域になる。次に海に面していること(これは物流の利)産業革命が起きないと鉄道が作られないので陸路の運送が大変。そして新規市場と鉄鉱石と石炭へのアクセスが容易かどうか。

 地中海性気候では農業革命が起きない(なぜならば夏に雨が振らないから) 地中海性気候ではひよこ豆とデュラム小麦の二毛作が出来そうな気もするが、結局、二圃制(休耕地、耕作地を入れかえる方式)のまま近代に至っている。地中海性気候では、小麦は冬栽培し、夏は乾燥に強い作物が主流になるが樹木(オリーブ、レモンなど)中心で、単位収量が向上しない。また大航海時代に乾燥に強い作物としてトマトが入ってくるが、ナス科ーイネ科の連作は相性が良くなくこれも二圃制から変化しなかった理由になりそう。したがって、スペインの大半、ポルトガル、南イタリアはこの時点で除外される。また黒海側にも候補地があるがオスマン帝国領なので除外する。ノーフォーク農法とは必要無く、単純にマメ科ーイネ科のループが可能であれば農業革命が成立すると思われる(イギリスの場合、土壌と緯度の問題が大きい)。表で人用穀物、飼料を裏作で作るわけである(最終的には化学肥料が必要になる)特にイギリスより温暖な地域では困窮作物はジャガイモだけではなく、トウモロコシ、大豆などと選択肢が非常に多い(もっともも大豆の栽培はヨーロッパでは失敗している。大豆栽培には最初に大豆を育てた土を混ぜないと大豆用の根粒菌が根付かないので育たないとか言う話)

1. マース川流域(旧ハプスブルク家ブルゴーニュ公領付近) この地点は古くから毛織物産業が発達しており、農業地帯であり、海運の利があるものの17世紀には致命的な問題があった。

 国土がオランダ、ハプスブルク家領、フランス領に分裂しており、港湾はオランダとアントワープが、工業はハプスブルク家領(フランス領からベルギー)、鉱業は神聖ローマ帝国からフランス(ロレーヌ)、プロイセン、フランスで、国がバラバラ、国境も頻繁に変化していた。

 ちなみにイギリスの産業革命の影響を受け、大陸ヨーロッパで最初に産業革命(ワロン工業地帯、ベルギー)が発生したとされる地域。ワロン地域イングランド(フランスのリールを含む)は炭鉱が多く、ロレーヌの鉄鉱山へのアクセスも悪くなかったが鉱山が枯渇したため衰退したらしい。ワロン地域に海運の利が無いのが原因だろう(国家分断が無ければ、イギリスより先にオランダかベルギー北部で産業革命が起きていた可能性が高い)海運の利を持ち工業が発達していたアントワープが産業革命に出遅れたのは八十年戦争の結果、アントワープが没落した所為だろう。

 もともとイギリス以上のポテンシャルはあったものの国が分断されており、政体が不安定だった事がイギリスに先を越された原因と思われる。ノーフォーク農法は原型はオランダから持ち込まれたと言われている。そういえばオランダは農業国だった。

2. ライン川流域 神聖ローマ帝国のなかでもライン川流域は、特に小領主が入り組んでおり、海運の出口はオランダになる。この地域には未だ現役のルール炭田を持つ。1.以上に条件が厳しい(ちなみに今のルール工業地帯)。18世紀後半に製鉄が始まる。産業革命が起きたのは恐らく1834年のドイツ関税同盟以降になる。

3. プロヴァンス地方(マルセイユ周辺) フランスには候補地が他にもいくつかあるが(アキテーヌなど)運河や鉄道が先に出来ないと発達しそうにない。鉄鉱石と石炭のアクセスはあまりよくない。マルセイユは地中海に面しており、アメリカやインド方面へのアクセスがしにくい点もマイナス運河が先に出来ないといけない(運河はあったけど)。この地域の工業が発展するのは19世紀後半であり、スエズ運河とローヌ=ライン運河(この運河は北海と地中海をつなげる)が出来たメリットを受けていそう。

4. セーヌ川流域(パリからノルマンディ) イギリスとパリを結ぶ大動脈。条件はみたしているものの、ユグノーを追い出しイギリスと対立していことや社会構造の硬直などが原因で産業革命を起こしにくい社会構造だった可能性が高い。また上記理由で手工業資本家層を逃げ出した後、フランス革命で中小農民層が乱立し、土地集約農業(土地が恵まれすぎている)が進まずそれを補う資本家が育たなかったのも原因と考えられる。炭田は少し離れたリールにあり輸送は鉄道が無いと厳しそう。鉄鉱石は北欧から輸入できた。

 イギリスと逆に中央集権化が早かったフランスでは資本家層に対するインセンティブが働きにくく、その代わりを国家代替すると言うスタイルに成ったような気がする(今でも社会主義的傾向が強い)

5. ポー川流域(ミラノ、トリノ、ヴェネツィア) 16世紀頃まで最も工業が発達していた地のはず。しかし、この流域は18世紀に入っても、サルデーニャ王国、ミラノ公国、ジェノヴァ共和国、パルマ公国、モデナ公国、ヴェネツィア共和国など分裂していた(そのいくつかはハプスブルク家もしくはブルボン家の影響下にあった)。その中でポテンシャルが一番高そうなのは、ポー川流域と海運の両方を持つ、サルデーニャ王国とヴェネツィア共和国の2つ。ジェノヴァ共和国は海運を持つもののポー川流域に領土を持たないのが減点。しかしヴェネツィアは地中海の奥深くにあり、新大陸へのアクセスで非常に不利。しかもオスマン帝国との地中海覇権対立が泥沼になって退潮しており市場が縮小しており、産業革命に辿りつく前にナポレオンによって滅ぼされる。もう一方のサルデーニャ王国はイタリア統一運動の中心地になる(サルデーニャ王国領のピエモンテ周辺は稲作地帯)

 資源的にはサルデーニャ王国はサルデーニャ島にカルボーニア炭田があったが、海運を使う必要があり、質もあまり良くない。鉄鉱石は輸入する必要がありそう。

 ポー川流域は潅漑さえすれば水田稲作が可能なのでノーフォーク農法すら必要ない。要するに地政的な理由で産業革命が遅れた。

 とにかく時代はミラノ、トリノ、ジェノヴァ、ヴェネツィアが分裂している状態。ミラノ、トリノ、ジェノヴァ、ヴェネツィアが統合していればいち早く産業革命が起きた可能性もあるが、新大陸へのアクセスが悪い点と不倶戴天の敵オスマン帝国が足を引っ張りそう。

 イタリアの南北問題の原因は気候にあるみたい。

7. カタロニア地方(バルセロナ周辺) スペインの温暖湿潤地域。港湾が地中海に面しており、スペイン領なのがマイナス。カタロニアの産業革命は19世紀前半頃らしい。バルセロナの西にはビルバオ鉄鉱山(今は閉山)があり、海運で石炭を運び込めば良いわけである。ちなみに水田稲作が可能。スペインで唯一産業革命が起こった地らしいよ。

8. エルベ川流域(ハンブルク~チェコ)

 ハンザ同盟、ブランデルブルク辺境伯領(ブランデンブルク、ザクセン)、オーストリア(ボヘミア)にまたがる地域。ハンザ同盟は衰退期に入っており、内陸部は亜寒帯が多いので一足飛びに産業革命に突入するのは難しそう。それ以前に三十年戦争、ナポレオン戦争のダメージやロシアとオスマン帝国など他国の介入が多い。ちなみザクセンに炭田がある。チェコからドイツにかけて工業地帯が存在している。


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