倭の五王と日本書紀

 倭の五王と言うのは日本史に出てくる南朝宋に使いをだしていた五人の大王とされる。この名前は『宋書』に出てくる。

 『宋書』は500年前後には完成したと考えられており、一方『日本書紀』は720年に完成したと言われているため、120年ほどの間がある。当時の交易ルートは北朝ー高句麗もしくは南朝ー百済経由のどちらであり、とりわけ南朝の影響が強いので、この間に日本に『宋書』が流入してきてもおかしく無い。

 しかしながら『日本書紀』は三国志の卑弥呼の記述を意識して取り込んでいるものの(神功皇后の時代は卑弥呼の時代とほぼ一致する様に年数調整が行われた跡がみられる)、倭の五王に関しては無視したような感じだ。

 一切、整合性を取ろうとしなかったわけだ。これが倭の五王の比定に複数の説が出る原因の一因にもなっている。

 これは、『日本書紀』成立時に雄略天皇以下の記録が詳細に残っていたために、いじれなかった所為であろうか?それとも南朝宋から隋になるまでろくに書物が入ってこなかったであろうか?『日本書紀』の主旨にそぐわないのであえて無視したのだろうか。

 こういう面から調べると倭の五王と日本書紀の関係は興味深いテーマだと思ったのだ。

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