唯一覚えている負け将棋、あるいは懺悔

 職団戦や社団戦が近いせいか、それとも年齢のせいか。最近はよく学生時代の団体戦のことをよく思い出す。
 といっても、私自身は大して将棋が強かったわけではない上に、私が入っていた将棋部も強豪とは言い難かった。せいぜいトーナメントの二回戦で強豪校に叩き潰されて終わる。それで今さら何も感じるわけではなく、次の日には元気に学校に行ってまだ来ない夏休みに思いを馳せる、そんな日々だった。
 転機が訪れたのは高校三年生の時。なぜか将棋部に元奨と全国実績多数の後輩が入ってきたので、私が何もしなくても勝手に県大会の決勝まで勝ち上がった。そこで迎えたのがタイトルに書いた「唯一覚えている負け将棋」である。忘れもしない(対戦相手は恐らく忘れているが)一局であり、唯一自分が未だに悪夢でうなされる将棋である。

図は私が6五歩と打った場面である。この局面で、私は5七銀と7七銀を中心に読んでおり、それなら後手番にしてはまずまずかなと思っていた。以下、8四歩から陣形を整備して捌き合った時に6六に桂香を打ち込む筋が見えるからだ。だが、相手はそのどちらも選ばなかった。


6五同銀、同桂、6六歩。アマ高段者には一目の手なのだろうが、私は指されてようやくこの手の意味に気が付いた。同桂から6六歩で桂馬を召し抱えられると、王手飛車の筋も相まって振り飛車側が捌きにくい。かといって、8一玉や7三銀打ちなども6四桂の筋が見える。冷静に考えれば、形勢自体はほぼ互角なのだが同時に「あ、この将棋負けるんだな」と対局中にわかった。以下、焦れた私が無理攻めで切り込むも、完璧に見切られて見どころなく負け。対局前に対戦相手から「お前相手なら楽勝」と吐き捨てられたが、まあこんなに弱い将棋を指しているのだから仕方ないと思う。(多少暴言かもしれないが)そして後輩も負けて全国大会の道も閉ざされるという散々な日だった。

私は私で別に将棋が嫌いになったというわけではなく、たまに指しては自分の弱さに呪詛を吐く非常に生産的な毎日を送っている。そしてあっという間に自分を抜き去る少年少女の後塵を拝すのみ。我々に救いはないのか?と問われたら、どうもせめてアマ四段~五段という人間扱いされる棋力にならないと解決しないらしい。

ただ、団体戦ならば6五同銀と取られたくらいで心が折れていたら駄目だよと当時の自分に伝えたい。せめて5三銀と引いておくのが大人の対応で、間違っても自分の弱さに苛立ちながら5五歩と死地を求めて斬り捨てられるのは阿呆だよと、数か月後に社団戦などを控えて思う。


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