夢逢人
『必ず迎えに行く!必ず逢いに行くからこの手を忘れないで待っていて!』
いつもこの声で夢は覚める。
懐かしくも居心地のいいその声は薄れゆく記憶と共に私を引き込み離さない。
その人の顔も名前も知らない。
ただ知っているのは彼の余韻と手の感触だけ。
この人と私の間に一体何があってどんな約束をしたのか。ずっと昔から彼をよく知っていて忘れたくない人なのにどうしても思い出せない。
長い時間をかけて流れ落ちた砂時計の中の記憶は消えかけていき私の中にはあまり残ってはいない。それでも突き動かされるこの思いは一体何なのだろう?
あの手を繋ぎ返すあの記憶はあの感触は縁(えにし)だけが知っていて私に必死に繰り返し訴えかけてくる。
ここではない場所でいつかの私が出逢った出来事。
この消えかけた記憶では彼の名前も彼の愛し方も彼の温もりもその全てが分からずこの2つを引き寄せる手段は一体どんな事なのだろうか?
『運命』という『未来』の時間と時間の引き寄せがあるのならそれは私達にとってどんな未来を用意してくれているのだろうか?いい事なのか?悪い事なのか?今の私には分からない。
私はその人に出逢う事を望んでいるのだろうか?そして彼も私と出逢う事望んでいるのだろうか?私達の間の時計の針は重なり合うように時を刻み始め2人を繋ぐその場所へと誘って行くのだろうか?
あの手の感触は未だに私の右手に残っている。薄暗い森の中を私の手を強く引きながら走っている。何から逃げているのか?どこに向かおうというのか?何者から逃れる為に必死で走り抜けるその息遣いは荒く心臓の音が耳に残る。『神様…どうか…彼を助けてください。彼だけでも……。』夢の中の私は必死で願った。どんどん暗い森を走ると一筋の明かりが私達を迎える。走り抜けたその先に月明りに照らされた湖が一面に広がる。水辺には綺麗な睡蓮の花が咲き誇る。何とも幻想的で時の流れがゆっくりと過ぎていく。走り疲れた私達は水辺で腰をかけ休む。『私達はこの時代では結ばれてはいけない縁だったの?』と私は彼の顔を見上げる。『……。そんな事はない。絶対そんな事はない。』彼は私の瞳に必死に訴えかける。『もしも、俺達が結ばれてはいけない2人なら俺達は今こうやって出逢ってはいない。出逢うべくして出逢った2人だから俺達は引き合わせられた。必ず意味のある事だった。だから、そんな風に言わないでくれ。それとも、俺と出逢ったことを後悔してる?』と悲しそうな眼差しで問いかけられた。『そんな事ない。絶対そんな事ない。あなたと出逢わない人生なんて考えられない。あなたと出逢わなかったら私の人生は暗く生きている意味さえ分からなかった。……。ごめんなさい。つまらない事を言ってしまって。』と彼の視線を逸らしてしまった。
顎をクイッと上げ彼はやさしくキスをした。『………。』彼の唇から伝わる私への愛情はそれまで感じていた不安をあっという間に払拭してゆく。『……不安にさせてごめんな。』彼の優しい眼差しに涙を浮かべる。『神様……さっき言った願いは取り消してください。出来る事ならこの人とずっと永遠に添い遂げたいです。どうか……神様、この願い聞き入れてください。』と必死に神様に届くように強く願った。月明かりがゆっくりと包み込んでゆく。夢の中で見せる愛しい人との儚い記憶の断片が私に語り掛けてくる。私達は決して離れたくなんてなかった。でもどんな理由かは分からないが離れなければいけない状況に追いやられ……離れなければならなくなった。溢れ出す涙は切なさとやりきれなさで満たされていた。『どうか…どうか…神様って言ったのに。彼を私の許に返してください。お願いします!……どうか…。』溢れる想いは必死で月明かりに呼びかけていた。あの時、どうしても離れたくなくて強く握りしめ合った2人の手には強い意志が詰まっていた。どうしても離してくない。決して離してはいけない手。この手を放してしまったらもう2度と彼に逢えないように感じた。荒い息遣いと共に私は飛び起きた。頬には乾ききらない涙の跡と今まで感じたことのない喪失感。『彼はどこ?彼を探さなくちゃ。』掻き立てられる衝動に居ても立っても居られない。『………………。あれ……。彼って一体誰だっけ?誰をどこを探したらいいの?』とやりきれない悔しさが胸を締め付ける。『ああああっ……。今すぐ彼を探さなきゃ。彼を助けなきゃ。……彼を。』と自分の無力感に絶望しながら何もできない自分に苛立つ。『落ち着け。落ち着け。私。大丈夫。大丈夫だからよく思い出して。落ち着いて。』苛立つ気持ちを宥め私は彼との記憶の紐を解いていった。彼に繋がる手掛かりは一体何?必死で思い出す。朧げに映し出されるどこかの景色。『ここは?』薄暗くてぼやけていてよく見えない。何かが光っている。『何?何が光っているの?水辺?』次第にはっきりとしてくる記憶。夜空に眩しいほど光り輝く月明り。そこには一面に広がる湖があり月明かりが優しく包み込んでいた。湖の周りには睡蓮の花が一面に咲き誇り幻想的な光景は忘れかけた懐かしさを思い出させた。意識を取り戻すとすぐに『私、ここに行かなきゃ。ここで彼に遭わなきゃ。』と突き動かされる想いに背中を押された。私は記憶が消えてしまわぬうちに必死であの湖を調べた。
あの情景がピッタリ合う場所。そこに辿りつくにはたくさんの時間がかかってしまったけれど私は必死で彼の居場所を探した。諦めたくなかった。今度こそあの手を離さず掴んでいたい必死の想いは私と彼とを紡いでいく。『あっ、見つけた。ここだ。』私の想いは繋がった。ようやく夢に見たあの場所に辿り着いた。その場所は長い時間が過ぎてしまって昔の面影は少なくなっていたが間違いなくその場所だった。しかし、そこには彼の姿なんてなかった。そんなの分かりきっていた事だった。でも、私は行かずにはいられなかった。彼の許に行かなければならなかった。どこを探してもどれだけ呼んでも彼はその姿を現わしてはくれなかった。心も体も疲れ果て私はその場所に座り込んでしまった。どれだけの時をその場所で過ごしていただろう?気付くと辺りはすっかり暗くなってしまい月明かりだけが照らしていた。『この……景色。見覚えがある。』月明かりに照らされ湖一面が何とも幻想的な光景に変わっていった。『遠い昔。私はこの場所に彼といた。彼と逃げ延び未来を誓い合った。そうだ。ここはそこだ。』私は遠い記憶が蘇り込み上げる思いに胸を締め付けられていた。『彼は?彼はどこ?』周りを見渡すが暗く静まり返り私以外誰もいる雰囲気ではなかった。
『当たり前か……。』そうつぶやいた瞬間。『大丈夫ですか?』と近寄る人影。ハイ。大丈夫です。少しこの景色を見入っていました。』と話し返す私の目に飛び込んできたもの。それはずっと探し求めていた彼の顔だった。『あっ、やっと会えた。生きていてくれたんですね?』と呟く。その言葉を聞いた彼の表情も驚きの表情へと変わっていった。『あっ、あの夢の……。』互いが一体どういう相手であるのか。という事を肌で感じ交差していく記憶の針が動き出した。長い間必死で求め続けてきたものが今目の前に現れたのだ。時計の針を巻き戻すかのように2人はお互いの再会を噛み締めた。想いが引き寄せ合った奇跡は長い時をかけて誓い合った『約束』という未来に想いが繋がる瞬間だった。時間の概念もタイミングも寸分の狂いもなく全てが合致してしまうように引き合わせられる。そして本当に人を『愛する』という事は言葉や形にしなくたって互いの想いが共鳴し合い他に何もいらない。互いの存在が今目の前にさえあればそれだけでいい。求め合う体はお互いの体が邪魔になるくらい1つになることを求め続ける。『この人さえいれば…他に何もいらない。この人のそばにいられれば。』ずっと探し求めた温もり。私を呼ぶその声。彼の匂い。その1つ1つが私の中に溶け込んでゆく。体の奥からこみあげるこの想いはようやく連れてきた出逢うべき2人が出逢う理由の答えと引き逢わせてくれたことに感謝しかなかった。ずっと私の中でくすぶり続けたものが私に本当の『愛する』事を教えてくれた。それはそれはとても長い道のりだったけれどその代償は私に生涯かけがえのないものを与えてくれた。
しっかりと強く握りしめ合った2人の手はもう2度と離さないと心に誓い合う。そして私は『神様……。私の願いを聞き入れてくれて本当にありがとう。』と心の中で何度も何度も感謝した。
《完》
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