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『天晴!な日本人』第37回 小さな巨人、徹底した日本の国益至上主義の人、小村寿太郎(4)

<お知らせ>

緊急で、レビューは7月初めになりますが、『安倍晋三元総理追悼論』(高木書房)を是非、読んで下さい。


安倍晋三元総理追悼論
深田匠
高木書房

現在までの最高の書であり、これ以上の内容の書は、たぶん出ません。
著者の情熱と誠実さと公正さも卓越しています。
一家に一冊、友人・知人にも配って下さい!! 

<本文>

桂内閣は、1902(明治35)年1月に日英同盟締結、日韓議定書調印、日露戦争勝利を経て、最長の4年7カ月も続きました。
その後、桂は2度首相となり、大宰相の安倍さんに破られるまで、首相在任の最長記録保持者でした。最高位の公爵こうしゃく、従一位となり、位人臣くらいじんしんも極めています。が、これは全て小村の手腕によるものと言っても過言ではありません。

日英同盟は、それまで「栄光ある孤立」を誘っていたイギリスの初の軍事同盟でした。この頃のイギリスは、アフリカでのボーア戦争を抱えていたこともあり、インドをはじめ、アジアの植民地に十分に軍を送ることもできず、軍紀厳しく、精強な日本との同盟を望んでいたのです。
この同盟は、貧乏人の日本が、王侯のイギリスと縁組みをしたとまで言われ、メディアも国民もこぞって大喜びしていました。

日清戦争後、三国干渉で遼東半島を放棄させられた日本は、「おのれ、ロシア、フランス、ドイツめっ!」と臥薪嘗胆がしんしょうたん期に入り、猛然と軍拡をします。
1895(明治28)年の海軍費1300万円が、年々、3800万円、7600万円になったのです。日清戦争では、日本の国家予算の約4年分弱を得ましたが、9割を軍事費に回しています。

本当は、今もこのくらいやらねば、自衛隊は10日以上は戦えないのですが。弾薬、燃料、食糧すら満足ではありません。仮に米軍が助けに来るとしても、それまでは持たないのは明白なのです。これを知っても国民の大半は政府や自民党に働きかけようとはせず、誰かがやるさ、何とかなるさと考えているようですが、亡国への道を辿たどっています。
せめて、このレビューの読者の皆さんが、「本気」になって声をあげてくれることを期待していますが、皆さん、何もしなければ本当に後悔する日が来るのです。

日英同盟では、日本がイギリスの勢力圏内にある植民地、国々との通商が容易となる、経済上の利益も見逃せませんでした。
開国以後の日本の歴史をさかのぼれば、イギリス、アメリカと、アングロサクソンと組むのが、最も優れた安保政策になっています。

この後、日本が最も頭を悩ませたのが、対ロシア政策です。満州に根をろしたロシアは、冬でも凍らない不凍港を得るため、朝鮮半島を狙います。
この時の朝鮮は、日清戦争の講和条約の「下関条約」第1条で、清からの独立国とうたってやったのに、相変わらず腰の定まらない国で、ロシアに従属しようという動きもあり、日本は安全保障上で懸念が残っていました。
ロシア軍が朝鮮半島まで南下してくれれば、日本はすぐ近くです。イギリス、ロシアは二大強国なので、ロシアの接近は危機でもありました。

そこで日本は、満州でのロシアの存在を認める代わりに、朝鮮半島での日本の自由を認めてくれと持ちかけます。実際はもっと複雑ですが、大ざっぱに述べます。
ロシアは、当然、ノーとなり、全く腰の定まらない朝鮮が安全保障上のリスクとなるため、ここで日本は他に選択肢がないので戦争をむなく選んだのです。
戦争をしなければ、ロシアは朝鮮半島のみならず、北海道や対馬つしまを要求してくるのは必至でした。
第2次世界大戦後、スターリンが北海道を半分にして、ソ連とアメリカで領有しようという提案を、トルーマンが蹴ったのは有名です。

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