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『天晴!な日本人』 第82回 「忠義に殉じた聖将、乃木希典のストイシズム」 (7)


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<乃木大将無能説の大根拠>

乃木大将無能説が喧伝されるようになった契機は、大東亜戦争での敗北により、従来まで機密扱いだった陸軍の日露戦争についての史書が公開されたことでした。
『機密日露戦史』が著名なものですが、これは1924(大正13)年、日露戦争20周年として、陸軍大学校専攻科第一期生の10人にのみ講述された時のテキストでした。
講述したのは谷寿夫大佐(後に中将、中国で処刑死)ですが、大本営参謀、長岡外史と、伊地知と不仲だった井口省吾が、大本営の稚拙だった作戦立案を糊塗ことするために、第三軍の乃木と伊地知に責任を負わせています。
谷自身、「尚一言スベキハ戦史ノ裏面ニハ更ニ裏面ノ存スルコト之レナリ」と語っています。

また、もう一冊、『明治三十七八年日露戦争史』という、参謀本部が編纂へんさんした資料がありますが、これは作製を命じられた大佐に、将校らが自分のことをもっとよく書けと圧力をかけ、事実と離れた内容になったことが証言されている書です。

乃木の戦場での指揮については、中央乃木会の桑原獄氏が主張するまでの卓越さがあったというのは、公正に見て過大評価ですが、乃木の人徳については、桑原氏同様に、高い評価に値します。

司馬の『坂の上の雲』は、1968(昭和43)年4月22日から1972(昭和47)年8月4日まで、足かけ5年にわたって『サンケイ新聞』(現在の産経新聞)に連載された後、書籍にもなり、多くの日本人に乃木大将無能説という誤った認識を与えましたが、これまで述べてきた諸々の事情があり、事実とは異なるものでした。

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