『フィスト・ダンス』 第151回 「人間は思考と言動によって創られる」

<父の言葉>

翔太は、ノストラダムスなんぞ、毛ほども信じてなかった。将来、あるかどうかわからないことを気にするのは無駄だ、としか考えていない。
心配して事態が変わるものでもなく、わざわざ自分の気分を暗くし、時間まで浪費するのはバカげている。

最近は父の尚奏と話す機会が以前に比べて大幅に増えていたせいで、この野蛮人だが、なかなかいいことを言う父親に共感することも少なくない。
そうやって付き合ってみると、自分のオヤジはスーパーリアリスト、超現実主義者で、「もっともだ」と感じることを平易な言葉で言える男だった。
いわく、

「自分の手に負えんことで心配する奴はバッカじゃないのか。そったらこと、くよくよ考えてどうすんだ。なにかが良くなるわけでもなし」

「すんでしまったことを悩むな。なんも変わらんし、未練たらしいだけだ」

「口にしたことは死んでもやる気でなきゃダメだ。10のことを言って実際に10できない奴は骨がない奴だ。てめえを飾ることしかないのだ。そったらガラクタになるなよ」

「言葉ってのはだな、命と同じだぞ。軽く考えるな。年なんか関係ない。ダメな奴は、いくつになってもダメだ。情けないな」

「おまえなあ、やるなら他の奴ができんくらいにやれや」

「体が変形するくらいでないと鍛えたうちに入らんて」

どれも翔太が、その通りだ、と深く共感できる言葉だった。

尚奏は本を読まない。
田中角栄首相が誕生した折り、珍しく、田中が載っている月刊誌を読んでいたが、田中のところだけ読むと、ポイっと捨ててしまい、残りを翔太が読んだくらいだ。
だが、物事の真理をつかむ、抽象的、論理的に思考する、記憶する、回転の速さは尋常ではなかった。
ああ、やっぱり、俺はこいつの血の入った息子なのだと、人生でどれほど痛感したかわからない。
まったく本を読まない尚奏の言葉や思考は、どこかから持ってきたものではなく、なにからなにまで、この人のオリジナル、独自の思考だった。
こういうことを、生来の習慣により、翔太は他を頼らず、自分の頭で能動的に思考するようになったのである。

勢い、大中の3年生のメンバーも強烈な影響を受けて、思考や行動様式は翔太に似ていた。
自分をよく見せようと、できないことをできるように言うことはなく、言ったことは100%履行し、それがかなわぬ時は全身全霊で詫びる、くどくど弁解はしない、というのが共通の生き方で、十代前半とはいえ、そのへんの大人より、よっぽど芯があった。

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