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『天晴!な日本人』 第21回 「一陣の風の如き爽やかな快男児! 桐野利秋(4)

西郷は、仕事や人に対する好き嫌いの激しく、人に対しては実は度量は大きくない、というのは本当です。
日本では西郷を批判するのは、おかしな奴、変わり者、歴史を知らん奴、と良くは思われませんが、薩摩出身で西郷に近かった高位の人は、そのように評することが多かったのでした。
しかし、西郷が、ここ一番で発揮する感情の豊かさ、己をむなしくする(無にすること)度量は巨大な人を思わせます。まさに、「大西郷」であり、この巨人ゆえに西南戦争は起こってしまったとも言えるでしょう。
仮に桐野が蜂起しても同じことになったでしょうが、西郷が止めたとしたら違ったかもしれません。また、桐野に義がなければ、先生としたう西郷が相手でも止めたはずです。
この両人が一致したからこそ、他の者たちは、自分たちこそ正義である!と胸を張って蜂起できたのでした。


2月6日、私学校本部で、二百数十人もの幹部一同が出席する会議が開かれます。桐野は西郷の左隣に座り、議長役でした。
初めに桐野が立ち上がり、政府が密偵みっていを差し向けて、私学校の崩壊を企図したばかりではなく、西郷先生の暗殺もくわだてたと演説をしました。
その後、何人かの発言があったものの、西郷が、
「おはんらがその気なら、そいでよか。こん先どげんするかは、おはんらのよかごつしゃんせ」
と話して、政府に非をただす、ということで決まったのです。その刹那、場内には、「チェスト!」の雄叫おたけびと拍手が湧き起こったと言います。

2月7日、私学校に「薩軍本営」の大きな門札が掲げられます。2月12日には編成は完了しました。
一番大隊長、篠原国幹くにもと陸軍少将
二番大隊長、村田新八宮内大丞くないだいじょう
三番大隊長、永山弥一郎やいちろう元陸軍中佐
四番大隊長、桐野利秋陸軍少将
五番大隊長、池上四郎いけがみしろう元陸軍少佐
です。
予備兵力として、六番大隊、七番大隊があり、連合大隊長は桐野を慕う従兄弟の別府晋介べっぷしんすけ陸軍少佐でした。
この時、西郷、桐野、篠原、別府は、明治天皇の恩情をんだ政府が除隊扱いにせず、休職ということにしてあるので現役の将官でした。当然、西郷は唯一の陸軍大将で、その次は中将の山県有朋やまがたありともがいるだけです。
村田新八は、誰もが優秀と認める男で、この時は皇室を管轄とする宮内省の幹部でした。西郷は、「知仁勇三徳を兼備した好漢である」と語り、大久保は、「彼がいれば大いに心強い」と語るほどの人物です。
勝海舟も、「傑物」と賞揚しています。訪欧の経験もあり、芸術をも愛する人でした。村田は西郷に従ったのです。永山は、桐野が、いないと困ると言った武人でした。別府は、最後に西郷の自刃の介錯かいしゃくをした人でした。
西南戦争を引き起こしたのは、この別府と、辺見十郎太へんみじゅうろうた淵辺高照ふちのべたかてるの三人だと、西郷の弟で、後に海相、内相を歴任した弟の従道つぐみちが述懐しています。

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