大学院生(M1)が頚椎椎間板ヘルニアになった件(1)

●それは突然やってきた

 京都市バスのダイヤ改正が行われ、1人の交通従事者(バイト)として、慌しく働いて いた6月1日の土曜日、勤務中から肩こりのような症状を覚え、勤務後より、痛みを感じ始めた。「痛いけど、夜だし寝よう。」いつものマイペースで、ベッドに横たわったのが夜の11時頃。いつもより早い就寝である。疲れているのだろうと一眠りしたのも束の間で、強烈な痛みを伴い始めた。これが深夜の2時である。寝る姿勢も辛く、居間へ行き、椅子に座る。しかし右手が痺れ、頭の左後部に頭痛を伴い始めた。寝起きだっからかか、目も見えずらい。残る力を振り絞り、自宅にあったロキソニンを飲み、就寝した。6月2日の深夜3時のことであった。

●湿布をもらいに病院に行っただけだったのに

 実は、この痛みは初めてではなかった。以前もあったのだ。その時はCTのみを行なってもらい、特に異常はないとのことで、ロキソニンと湿布を与えられた。寝違いや肩こりによるものではないかと医者には言われたので、今回もそうであると思った。しかし以前よりも痛みが増した為、一応自宅近くの病院へ。日にちはすでに6月3日の月曜日であった。2日の日曜日に行こうともしたが、近くの整形は急診(休日?)対応してもらえなかったためである。とにもかくにも三田としては、湿布をもらいに行く位の軽い気持ちであったのだ。

●整形外科を受診

 病院のHPを見たところ、頚椎の先生が当日は整形にいるとのことであったので、前回と同じ病院を受診。しかし、実際には診察をしてくれた先生は、脳神経外科の先生(以下、K先生)であり、整形外科やリハビリにも精通のある、病院の院長先生であった。三田が伝えたのは、

①右首と右肩が痛い ②右手が痺れる ③頭部の左後が痛い

の3点であった。この間と同じでCTで終わりかなと思いきや、採血を採るわ、内科も受診するわで大忙し、最後にはMRIの受診も行うはめになった。「どうせ高い金払って、何もなかったで終わるんだろうな。。。」と思いながらも、K先生からの結果を待つ。

●即日入院へ

 「三田さん7番整形お入りください。」と看護師さんに呼ばれ、診察室へ。K先生は三田が入室するや否や、「ご自宅は近いですか」「ご両親は自宅にいらっしゃいますか」といつもとは違うボールを投げられる。少し戸惑いながらも「歩いて5分です」「今日は仕事です」と返答。すると K先生は三田の頚髄のMRIの画像を見せながら、

「えっとね、、、 頸髄の骨の4番目と5番目の骨の間のクッションがなくなっていて、後ろの神経をさしてます。病名をつけるとしたら、椎間板ヘルニアです。2週間程度入院いけますか?」

 と宣告。いや、宣告というほどではないのかもしれないが。元気100倍三田涼平からすれば、大きな衝撃であった。入院は4、5歳の頃の外斜視の手術以来であるからだ。三田の混乱とは対照的に、入院の手筈は病院側でサクサク進められた。検査が終わったのが12時頃、「14時頃までに荷物をまとめ、速やかに入院するように」と、看護師さんは言う。一度、自宅に戻り、荷造りを行う。12時から14時までの2時間は学業の整理やバイトのシフトの整理でいっぱい一杯であった。とにかく痛い体に鞭を打つようにキビキビ動いた。あの時間が個人的には結構渋かった。

●いざ入院へ!

 荷物をまとめ、自宅から黒のリュックと緑のキャリーケースを携え、病院へ。案内されたのは4人部屋の一角である。4つのうち、3つのベッドにはご高齢の男性の姿が。軽く挨拶をし、ベッドイン。リモコン一つでリクライニンが足の高さ、ベッドの高さを調整できる優れたベッドである。ただしクッションが弱く、寝るには苦痛のベッドでもあった。周囲の苦しそう・辛そうなご老体の姿を見ながらの入室であったので「僕はもう、普通の人間ではないのか...」と感じつつ、入院生活が幕を開けた。6月3日のことであった。

●入院するも・・・

 この続きは第2話へ続く。

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