「出会い」と「別れ」にはどんな意味があるのか #ドラゴン桜メルマガ 105号
学び方を学べ!ドラゴン桜公式メルマガ
2019年4月15日(月)
【Vol.105 取材記事・コラム版】
月曜日7時・木曜日0時の週2回配信
こんにちは!担当編集まほぴです。
『ドラゴン桜2』5巻、いよいよ4月23日(火)発売です!
5巻の見所は……
・東大英語リスニングの必勝法、伝授!キーワードは「TED-Ed」!
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今週も #ドラゴン桜メルマガ をお楽しみください!
1.【連載】
みずから学ぶ姿勢を身につける!
学習塾「PlusT」清水章弘さんインタビュー
桜木建二が教える 大人にも子供にも役立つ
2020年教育改革・キソ学力のひみつ
桜木建二がインタビュアーとなって
さまざまな分野の「学びのプロ」に話を聞く本連載。
4月は勉強のやり方を教える塾「プラスティー」を東京と京都で運営する、清水章弘さんのインタビュー!
■苦労人の父のすすめで私立中高へ進学、東大へ
うまくつきあえば、これほど心強い存在もないのが、日本の塾という存在である。
清水章弘さんは、正しき塾のあり方を模索し、実践し続けてきた。なぜそうしたことに身を投じるようになったのか、その背景は気になるところだな。ぜひ教えてもらおう。
東京の名門私立中高一貫校に通い、現役で東京大学へ。学生時代、弱冠20歳で起業し、塾の経営をしながら大学院を修了した――。
かいつまんで言うと清水さんの生い立ちはそんなことになる。よほどのエリートであり、ひょっとするとご両親も東大、祖父も帝大を出ていたりする家柄だろうかと想像してしまうが、そうではないのだという。
「清水家はもともと茨城にあり、昔から高等教育とは無縁な家系でした。うちの父も、高校を出て働き始めたのですが、高卒だといつまでも大卒の初任給にもたどり着けないと気づき、3年間の浪人生活を経て大学へ入ります。
のちに生まれた僕に、父親は言いました。自分みたいな人生を歩ませたくない。だから『学』だけはつけさせたい、と。それで私は中学から、東京の私立校へ通うことになりました」
通っていた中学校で教育問題に関心を持つようになり、東大教育学部へ進学。学校の現場でやりたいことがたくさん出てきて、話を持ちかけると、たいていは「法人相手でないと契約を結べない」と言われた。
ならばと在学中にみずから会社を立ち上げた。それが現在のプラスティーへとつながっている。
■中学時代に取材した尾木直樹さんらの影響で教育の道へ
ときに、中学時代に教育問題に目覚めたというのは、なぜだったのか。
「毎学期一本ずつ、レポートを書く課題があったんです。2年生のとき、テーマ選びに悩んでいると、テレビの討論番組で『ゆとり世代』を憂う話題が取り上げられていました。
1987年生まれ以降のゆとり世代はバカになる、どうするんだという議論ですね。私はまさに87年生まれで、第一世代なのです。
自分たちで決めた制度でもないのに、なぜバカだと言われないといけないんだろうと疑問を抱きました。じゃあこれをレポートのテーマにしようと決めました。
2カ所以上は取材をしなさいというルールがあったので、テレビで教育について語っている方々に片っ端から連絡をして、取材のお願いをしました。するとみなさん、お忙しいなか時間を割いて話を聞かせてくださいました。
尾木直樹さんや和田秀樹さんなど、著名な方々も含めて、口をそろえて『教育こそいちばん大事なものなんだ』と目を輝かせて、熱く語ってくださるのです。こんな生き生きとした大人の顔を見るのは、初めての体験でした。
そうか教育か。この仕事はすてきだな。そう強く思うようになって、教育学を志すようになったのです」
なるほど子どもに最も大きい影響を及ぼすのは、大人が全力で楽しみ、本気で打ち込む姿なのだということが、改めてよくわかる逸話だな。
***
清水章弘
1987年、千葉県生まれ。私立海城中学高校、東京大学教育学部を経て、同大学院(教育学研究科)修了。勉強のやり方を教える塾「プラスティー」を東京と京都で運営。著書は『東大生が知っている 努力を結果に結びつける17のルール』(幻冬舎)など多数。最近は、TBS系「教えてもらう前と後」(火曜よる8時~)に出演し、次回は4月9日(火)。1児のお父さん。
☆この連載はLINE NEWS「朝日こども新聞」(月、水、金 8:30配信)でも配信されています。LINEアプリ(news.line.me/about)をインストールして「朝日こども新聞」を検索!
https://www.asagaku.com/
2.【連載】
たらればさん、教えてください!
古典が好きになる話
「めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に 雲がくれにし夜半の月かな」紫式部
(せっかく好機がめぐって出逢えたというのに、まるで、ふと見上げた刹那に雲間へ隠れてしまった月のように、あなたは挨拶さえ交わす間もなく行ってしまったのですね…)
わたくし、(Twitterでの言動をご存じの方は先刻ご承知かと思いますが)ガチガチの【清少納言派】であります。
それでも、日本文学史上もっとも偉大な作品は何かと問われたら『源氏物語』だと答えるだろうし、もっとも偉大な物語作家は誰かと問われれば(清少納言を日記でバキバキに批判した)「紫式部」と答えるでしょう。
清少納言と同じ時代に生き、同じ場所で生きた紫式部と、『枕草子』が書かれた時代の直後に生まれた『源氏物語』は、やっぱり最高で最強の書き手と作品だと思っています。こんにちは、FGOでも実装以来ずっと紫式部先輩と旅しているたらればです。
■世界で最も有名な日本人女性、紫式部
さて何度かお伝えしたように、『小倉百人一首』は日本王朝文学オールスターズですから、もちろん紫式部の歌も収録されています。
第五十七番、「めぐり逢いて」。約百万字、世界中で翻訳され、作中70年間にわたる大河作品を記した(おそらく記録がしっかり残っているなかで世界最古の女流作家である)紫式部の詠んだ歌です。
「むすめふさほせ」(小倉百人一首かるたの中で、一字決まり、つまり最初の1文字で判別できる7首)のうちの一首(「め」)ということもあり、人気の高い歌でもあります。
もしかすると世界で最も有名な日本人女性であり、お札にもなった紫式部ですが、しかし本名不詳、生没年不明(いずれも諸説あり)。おおまかにいうと西暦970年~980年頃に生まれ、1020年頃に亡くなったとされています。藤原道長の娘であり一条天皇の后である中宮彰子に仕えた女房でした。
彼女は『源氏物語』のなかで795首の和歌を登場人物に詠ませていますが(「泣く子(七九五)も黙る紫式部」と覚えましょう)、この時代の貴族ですから、当然自分自身の和歌も多く遺しており、それらは自選和歌集『紫式部集』としてまとまっています(ちなみに『清少納言集』もあるのですが、こちらは他選集です。こういうところに両者の境遇や性格の違いが出ていますよね)。
この「めぐり逢いて…」は、その『紫式部集』の冒頭に掲げられた歌であり、紫式部自身とても思い入れの深い歌のようです。
(FGOでも紫式部のスキル使用時にこの歌の下の句の一部が呟かれます)
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