どの自分で居ればいいか分からない。自分が大事すぎるってだけなのでHSPの盾を使わないでおく
相手が男性の場合、愛想良く話したり話題が途切れないよう楽しく会話を弾ませると、
「この人、僕に気があるのかな?」と思われそうなので敢えて会話のテンポを抑えるという我ながらとても自意識過剰な思考と行動をとってしまう、
ということを姉と話していてお互い共感の嵐だった。
僕に気があるのかな?と思わせることでこちらに好意を持たせるように仕向けるという夜界隈の基本構造みたいなものが、お昼の日常生活でも適用されてしまうのではないかと思ってしまうことで自意識過剰になるのだ。
改めて文字にしてみると本当に恥ずかしい話だ。
自意識過剰で勘違い、職業病の名残みたいなもんだって自覚はしてるので許してほしい。
誤解しないでもらいたいのは男なんてみんな〜、みたいにひとくくりにしてはいないということ。(昔はしてた)
お金を払ってお店に来るってことは意識的でも無識下でもお望みのシナリオがあるわけで、それに向かってこちらがストーリーを進めていけばそりゃあ岩が転がるように、水が低きへ流れ如く。
でもそれはお店の中だけでの話であって、陽が昇っているあいだは人間、お店の中みたいにシナリオ通りにはならないものだ。(比較的)
姉と私は夜の世界を一度通過した者同士だけれど、
それ以前に姉妹だからなのか微妙な部分こそ似ている。
夜だとかお客さんだとかに限った話じゃなくなってきた。
「人と話す時、どのモードでいけばいいか分かんないから結局黙ってる。」
そう、それーーー!
日常生活、例えば職場の人だったり、飲み会だったり、ご近所さんだったり、お稽古事の仲間でも同じだ。
聞かれたことだけ答えます、の波風立てないお淑やかスタンス(ローテンション)でいくか、
キャッチボールを延々と続けますの前のめり建設的スタンス(ハイテンション)でいくか、
のどちらかに振り切ることしかできないのだ。
どっちの自分でいればいいのか?
それを考えずに済むから家族や友達といるのは心地よいのだ。脳への負荷がかからない。針は中間あたりをゆらゆらとしている。
私は人と話す直前に、頭の中で会議が起こる。
《どっちの自分で出陣しようか?》
その会議は議事録など取れないほど一瞬で終わる。
その会議ののち、Aで出陣すると、こうなる。
「おつかれさまで〜す。」
(うつむく、スマホを見る、水を飲んだりする。)
Bで出陣すると、こうなる。
「あ!おつかれさまですー!久しぶりですねー!
いまー、あそこのランチ行ってきたんですよー
そうそう、めっちゃ良かったですよ!
普段どこで食べられてるんですか?
え、お弁当つくってきてるんですか?!偉すぎー!
小さい時からおうちでお料理やってたタイプですか?
へぇ〜!すごーい!
そいや、ご実家は九州って言ってましたよね、
夏休みは帰省されるんですか?
私福岡と宮崎は何回か行ったことあってー、良いところですよねー!
飛行機で帰るんですか?
あーピーチいいですよね!
私はちょっと前にピーチで韓国行ってきたんですよー!
え、そうなんですか!私も私もー!
結構海外とか行かれたりするんですね?
おぉー!え、他どこ行ったことあります?
そうそう私も海外わりと行ったりしててー
あー!ニュージー私も行きましたー!
じゃあ結構英語しゃべれるんですねー!
あ、留学!めっちゃぽいぽいー!
いいなー私も昔はTOEICとか勉強はしてたのにー、」
(こっから何学部だったかとかサークルの話とか就活の話に遷移していく)
私は子どもの頃から自分のことを教室の端っこにしかいない人見知りだとずっと思っていたけれど、そんな自分も時と場合によってはめちゃくちゃ人当たりのよいコミュ力抜群の別人にもなれることに高校生のときくらいに気がついた。
大人になるってこういうことかって思ってたけど、どうやらちょっと違うようだ。
きっとみんなこういうところはある。
この人にはあまり着飾らないで楽に話せるなとか、この人は緊張するからぴしっとしようとか、この人はちょっと気に食わないからサラッとでいいか、みたいな。
社交辞令言ってみたり、ちょっとカッコつけてみたり、みんなもするんだろうけど、
でも、他人との会話ってこんなに毎度毎度自分じゃない自分を用意してするものなの?
こういうことをしなくて済む人が自然体な人、なのだろうか。
普通におしゃべりは好きだよ、会話を途切れさせない自信もある。
偽ってるわけじゃなくて本心で会話を楽しめる。
でも、必要以上に計算してモード選択をしてしまうのってなんなんだろう。
というわけで私は、人によって態度が変わる人だと思う。
でも、よくいる「相手によって態度が全然違うヤツ」と違うのは、媚びを売りたくてこう振る舞ってるわけじゃない。
態度を変えてるんじゃなくて、態度が変わってしまうんだ。
本当は誰とでも均一のテンションで接したい。
いつからか私は自分のこういうところを勝手に「選択的コミュ障」と呼ぶことにした。
この言い方は自分で勝手に思いついて勝手にすごく腑に落ちたから結構気に入っている。
ちなみに、今ググってみたけどヒットはしなかった、ヤッタネ。
いわゆるコミュ障を極端に表現すると、どこ行ってもうつむいてるようなイメージ、といったところだろうか。
初対面の人にはモゴモゴしちゃう、
学校で友達ができづらい、
店員さんに話しかける/話しかけられるのが苦手、
職場の飲み会は参加したくない
みたいな?
ローテンション一択。
選択的コミュ障が厄介なのは、コミュ力に汎用性がないところだ。
コミュニケーション能力は十分に持ち合わせているのに、それを発揮、駆使できる相手とそうでない相手がいることだ。
発揮できない相手の場合には、逆のモードに針を振り切ることしかできない、ちょうどいい中間をとれないのだ。
誰にも彼にも人見知りしてしまうのではなくて、状況や関係によってはコミュニケーション能力が極端に、全く、別人級に、変わってしまうタイプのコミュ障。
相手に関心があってどんどこ会話を進めることが難なくできる、このモードのときの自分は好きだ。
別に偽っているわけでもなくて、元来私はおしゃべりがわりと好きなんだと思い出す。
一方で、相手に気を遣わせることもあるほどに口下手(な人)になり、あーこれもっとこう会話広げられるけど、いいや、人見知りキャラでいこう、、ボールは返さずに受け取ってとりあえず微笑んでおくか。となることもある。
このモードの自分はあまり好きでない。
なぜわざわざ私は自分を殺してるんだろう。
相手からの印象はきっと良くない、別にあなたのこと嫌いなわけじゃないし一切の関心がなくてボールを返さないわけじゃないんだよ。
私もその映画観たし、なんなら好きだよ。
観たことない体にしちゃってすみません。
なんていろいろ考えてみたけど、こういうのも含めてのコミュニケーションなんだろう、上っ面ばかりきちんとする能力だけはあってそれをどう分配しようかと考えあぐねなければ楽にコミュニケーションできないなんてそれはそれで普通にコミュ障なのかもしれない。ファッションコミュ障というわけでもないし。
ホステスをしていたからコミュ力があるんじゃない、コミュ力は元々あった。ホステスの仕事でそれがたまたま活かせただけだ。
イチお店の女の子になった自分が自動運転してくれるから、本当の自分は助手席か、なんならトランクで寝てるだけ。
自分がどう思われるか心配しなくていいから、ホステスの仕事ではどの自分でいこうかなんて考えなくていいから楽だった。
日常では自分は自分でしかない。
結局は自分がどう思われるかがこわいだけ、自分のことが大事なだけ。
めんどくさいから黙ってるだけ。
ぼーっとしてるとか掴みどころがないとかよく言われる。
意外に熱いね、なんて言われる。
意外におもしろいよね、なんて褒めてんのかそうじゃないのか。
自分はHSPチェックリストに強く当てはまることが多いからHSPだな〜とは思っているけれど、なんでもかんでもHSPを後ろ盾にはしないようにしよう、私はただ自分がかわいいだけのかわいくない人間だ。
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