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主役は誰でもなれる。名脇役に囲まれていれば。

幼少の頃、戦隊モノだと絶対アカだし、ドラゴンボールなら孫悟空だし、ロックマンXだったし、マントをつけて木の棒を持って勇者にもなっていた。

ごっこ遊びや劇をするなら必ず主役をやりたがっていた子どもは今、主役が主役となれるような裏方稼業を生業にしつつ、私生活ではコソコソとこうして自分のnoteを書いたりしている。

今はなんとなく自分が「普通」じゃないことを知ったけど、それに気づかずに立ち回れていなかった学生時代は教室で髪の毛を切られたり後ろから石を投げられたり、嫌がらせも多く受けた。

社会に出て様々な経験をし、自分の価値観が少し人とズレていることを自覚してからは、確かに自分は少し面倒な人間だなと思うようになったし、そんな僕と友人や仕事仲間として付き合い続けてくれる人は、人間ができている人達だと本当に心から感じている。

もしくは僕と同じように少し変わった人が集まっている気もする。三谷の人間関係相関図の多くは「生き残った」と書かざるをえない。

しんどい時期があった僕でも今は、なんとか楽しくやれているように思う。というか尺度は自分で決めれば良いと気づけた。人間関係も時間もお金も価値観は人それぞれだから、人の尺度に合わしていたらキリがない。

サンボマスターのようにタンバリンを鳴らしながら悲しみの過去を歌い、10-FEETのように一人の世界で言葉以上を慈しみ、ウルフルズのように泥臭く愛を謳う。

僕は僕の人生の主役でしかなく、誰かの人生においては端役で、好きな人の人生の名脇役になってその人を主役たらしめていたら嬉しい。

わざわざ名脇役になろうとは思わない。なるなら勝手になっている。バイプレイヤーってかっこええよね。物語を輝かせるのは、間違いなく彼らだ。

主役であることにも固執しない。無理に誇張しなくても勝手に始まっている。

自分の人生は自分だけの物語で、誰かの人生は誰かだけの物語で、そこに配役があり、結末がある。のだと思う。

最近は、自分が自分の人生の主役であることをもう少し大切にしようと思えてきた。

過去に一度折られた何某を、静かに少しずつふんぞり返らせる。

そんなことを思った、2024年3月17日。誕生日の午前でした。

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