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【昭和50年頃】共同洗濯と藻のプクプクの記憶

ポコポコ…。
プクプク…。
小さい頃の五感に刻まれた記憶は、いつまでも鮮明だ。
それは、母や近所のおばちゃん達が集まって洗濯をしている光景。

現代、集まって洗濯をするところといえば、コインランドリーになるのだろうか。

『おばあさんは、川に行って洗濯に…』と昔話にあるように、洗濯機がない時代は、小さな川とか水路や、井戸の辺りで洗濯をしていたと思うのだが、1970年代(昭和50年代)は、家に二層式洗濯機が導入されるかされないかの頃だったように思うが、母は、家の裏の温泉まで洗濯に行っていた。

小さい頃の私は、極度の引っ込み思案で、母が近くにいないとすぐ不安になるので、母の行く先々にくっついて行っていた。

そこの洗い場は、当時幼なじみの家が営んでいた、広大な家の敷地内にある温泉の建物の裏手にあった。もちろん夕方には温泉にも時々入りに行っていた。

洗濯用に使われていた温泉は、ちょっとした小山の脇から湧き出ていて、お湯が筒を通って、1mくらいの深さに掘られた奥行き50センチ幅1.5mくらいの石かセメントで作られた槽に貯められ、温泉の浴槽のように、槽の立ち上がり30センチくらいの縁の排水口からあまったお湯が出ていくしくみだった。

北側に槽が位置しており、槽に面した南側に4畳半くらいのコンクリートで固められたところが洗い場だった。
温泉の周囲10件くらいだろうか、近所のおばさん達が入れ替わり立ち替わり、ブリキのタライに家の洗濯物と洗濯板を入れて、そこで洗濯をしにきて帰って行く流れだった。

母やおばさんたちは、タライを置いてしゃがみ込み、温泉槽から湯を汲み上げて、タライの中で洗濯板に洗濯物を乗せて、左手は洗濯物をつかんで板の上に固定し、右手で反対側の端を持って、ジャッジャッとリズミカルにゴツゴツ波打った板に石鹸をつけてこすり洗いをする。

その間、まだ小さいこどもが役に立てるようなことはなく、母達のその姿を近くで見ていたり、付近で遊んだりしていた。

そんな中で忘れられない感触がある。
温泉のたまる洗い場の槽には、絶えず温泉が流れているので、お湯はきれいで、そのドボドボ流れ落ちてくる湯の勢いで空気が入るのか、貯まった湯の下からは、プクプクと空気の泡があがっていた。
そして、壁面にはびっしりとコケというのか藻というのか、緑色の長くてフワフワした絨毯のようなものが張り付いていて、そこに空気がたまっていた。
湯の中に腕を入れて、その空気のたまった緑色のコケに手のひらを押し当て、コケからプクプクプクと空気の泡がはじける感触がたまらなく好きだった。

「ギュッ」
「プクプクプク」

「ギュッ」
「プクプクプク」

飽きずに幼なじみと繰り返し「おもしとかねー。」と言いながらやっていたのか、そこの記憶は曖昧だが、藻の感触と空気のプクプク感は鮮明に記憶に残っている。

その間、母達は手を動かしながらも口も動いていた。
何の話をしていたのかはあまり覚えていないが、いわゆる井戸端会議だったのだろう。

当時はお湯を簡単には沸かせなかった。お風呂はもちろん30分前から水をためてから火を釜戸にくべなければ入れなかった。
自宅で洗濯に使うお湯は夕べの残り湯をくんで運んで使っていた気もするが、それも意外と重労働だ。
すぐそこで湧き出るきれいな温泉水で洗濯できるのは、離れた場所だとしても女性達が集まっておしゃべりもできる格好の息抜き場でもあったのかもしれない。

世の中は高度成長期で、次第に各家庭には洗濯機が入り、学校に子供を出すようになる頃には、皆それぞれ生活が忙しくなり、いつの間にか温泉場で集まって洗濯もしなくなったように思う。

消え去りそうな昭和50年頃の記憶と、はっきりと覚えている手の感触。

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