モノクロームの世界
白と黒の世界
なのにそこにはグレーが存在する
0か1かの世界で日々お仕事していると
このグレーの世界にとても惹かれる
グレーとは何か
それは曖昧さなのか
0と1以外にも世界はあるよという主張なのか
小数点以下のお話なのか
私という人間も、表に出ている自分が1だとすると、出していない0があって、
けれど気がつかないうちに小数点以下の世界も醸し出していたりして、
それは本人は全く意識してないから他人から見たら当たり前のことだとして、
相手から見た私の1と、私が認識している1が一致していないという、そんな感覚もあって。
写真の世界は、そこに写ったものが全てであり、写らなかったものはないものという認識で、私はシャッターを切る時に責任を持たねばならない、と認識してます。
フレーミングであったり、露出であったり、どこにピントを合わせるかであったり。
人物を撮る場合、お顔(とくに目)に合っていないとまずお話にならなくて、その場所が画角の中でどこに配置されるかも大事で。
それが満たされた上で背景に必要なものがあるか、不要なものは写ってないかを判断して。
伝えたいことは何かを込めて撮って並べて。
風景も多分一緒で、伝えたいことがちゃんと伝わらないと意味がないというか。
記録にもならないって、今日撮ってきて現像して思いました。
デジタルで撮れば、ピントは簡単にくるし、ちょっと甘いときもすぐに調整できるけど、でもそれはピントが甘くなってるってちゃんと認識してなければ出来ないことで。
感覚の中に、これは合ってる合ってないというのがあるのか無いのか、どうなってたらピントが合ってると言えるのか、とか。
ピント合わせたつもりのところが解像してたら合ってると言えるのか、とか。
きちんと写真を撮る、という基礎に立ち戻って写真を撮るキッカケをくれたのは、フィルムカメラなんですけども。
まだまだ未知の世界が広がっている気がしてなりません。
2019/01/26撮影
機材
HASSELBLAD 500C/M
Carl Zeiss Distagon T* CF50mm F4 FLE
Kodak TMAX400
撮影地
哲学堂公園
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