S市で平野啓一郎さんが講演した

昨年11月に公開された映画「ある男」。この原作である小説「ある男」の著者・平野啓一郎さんが、宮崎県S市で講演をされたので聞いてきました。

小説の舞台の一つであるS市は、有名なのは古墳群くらいという人口3万人足らずの小さな市。昭和30年代には5万人まで増加したらしいけど、ダムが完成したこともあり、その後は人口が減少していきました。まあ、一般的な地方のまちです。
そんなS市がなぜこんな有名な方の小説の舞台に?という感じ。

講演は定員400人のホールがほぼ満員になりました。こんなに席が埋まったホールは見たことない。
小説ができるまでの話をご本人から直接聞けるなんて、贅沢なことだよね。

「マチネの終わりに」では、ちょっと自分達から遠い存在が物語の主人公(世界的ピアニスト&国際ジャーナリスト)だったから、等身大の主人公にしたかったとか。騒がしい都会の生活に少し疲れて、山の中で静かに仕事をする林業を主人公の職業にしようと思ったそう。それで縁のあった林業の方に現場を取材させてもらって、偶然宮崎のS市に来て、なんとなくしっくりきたそうです。

小説の冒頭で、S市の廃れっぷりが丹念に書き込まれていたので、そこに住んでいる方に失礼になるのではと思って市の名前は伏せたらしい。まあ、どう考えてもここだろうという感じですけどね。
失礼だと怒る人がいるだろうか。うーん。廃れてるのは事実だしなあ。というか、日本の地方はどこもこんな感じじゃないの? 別にS市に限った話じゃないからな。
でも、ここにもちゃんと人々が暮らしていて、たくさんの平穏な生活があるんだ。

小説を書く過程のエピソードは興味深いものがたくさんあった。
インスピレーションが降ってくるタイプではなく、日常の中でいろんなアイディアが浮かぶので、それをしばらく転がしておく。モノになるのはどんどん膨らむが、それ以外は消えていく。
小説は長いものだと1年以上かかるので、自分がこれなら書ける、と思えないと続かないそうだ。根気のいる仕事だなあ。
あと、取材時には写真も撮るけど、あまり使わないそう。写真は情報量が多いわりには、情景が浮かんでこないんだって。感じたことをメモしておいた方が、膨らむらしい。なんかちょっとわかる。日記もそうじゃない? 感じたことや思ったことの方が、後で読んで面白いよね。ライフログも面白いけどね。ドライヤー買ったの3年前か〜とかわかるから。

文学についての話もあった。
主人公が考えていることが、自分と同じだ!なんていう一節があると、すごく感動するって。他者の中に自分の悩みを見つけることで、救われることもある。小説という形で、一度他者を経由することで、自分に向き合えることがあると。
主人公と自分が大きく隔てられているときは更に感動する。何かわかる気がする、と。

私はというと、この講演会をきっかけに、すごく久しぶりに小説を読んだ。
高校生まではよく読んでいた。かなりたくさん読んでいた。本は、私の逃げ場所だった。本が与えてくれる楽しい世界は、リアルの退屈から逃げ出せる場所だった。 
だけど、大学生になって、たくさんの学問に出会って、受験のためじゃない勉強を始めたら、新しい世界に夢中になった。歴史、芸術、心理、法律、自然科学…知らなかった世界の片鱗を見せてくれる本を読み漁った。それ以来、知識を与えてくれる本ばかり選んでいる。今も。
だからかなのか、小説は読まなくなった。架空の話を読んでどうなるのか。フィクションから何が得られるのか。単純に娯楽なら、読後にモヤる小説をわざわざ選ぶの、タイパ悪くない?なんてね。

というわけでめちゃくちゃ久しぶりに読んだ小説「ある男」。
面白かった。
今、社会で起きているたくさんの問題。人権、死刑、差別、境界知能、加害者家族、スティグマ…私も気になっていたいろんなトピックスが次々と出てくる。
それらをかすかに匂わせながらも、主人公の生活は淡々と進む。悲惨さを強調したりとか、カタルシスを狙うような変に扇情的に煽る感じもない。その誠実な書きぶりが、好感が持てた(えらそう)。

なんだか良い体験だったので、「本心」も読んでみた。
こちらもかなり盛り込んでいた。高齢化、ワーキングプア、仮想現実、無敵の人、格差の拡大…。
その人をその人たらしめるものはなんなのか。肉体なのか、記憶なのか。
記憶ならばそれは「誰」の記憶なのか。
小説の中で、将来が見えない主人公は「学ぶこと」に希望を見出した。自分よりさらに悪い状況にある人のために動くことにした。穏やかなやり方で、身の回りの社会を少しだけ変え始めるのだろう。
恋心を隠して身を引いた主人公の選んだ道は、妙に腹落ちするものだった。

結論としては、優等生的で面白みに書けるのかもしれない。
でも、小さなまちで、地方自治法にレールを敷かれた行政システムの歯車になっている我が身としては、人を救えるのは、天地をひっくり返すような革命ではなく地道な改善だって思うんだ。
誰かの命を奪ったところで、人は救えない。自分の人生も良くはならない。
仮に既存の社会システムを破壊しても、混乱と悲劇が増えるばかりで、望む未来が一気に訪れるわけじゃないんだ。
革命がもたらす素晴らしい理想社会なんて、ちょっと信じがたいんだよなあ。
そんなことを思いながら読んだ。
同じようなことを考えている人がいるんだって、ちょっと感動しながら。


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