推しから離れてみてのこと
推しから少し離れると決めて実行してみて、一か月がたとうとしている。
推しの主演の舞台に行かなかった。前回のイベントに行って決めてから、その月にはじまる予定だったチケットを流して、その次のライブにも行かなかった。そもそもチケット取らなかった。グッズも買ってない。SNSのアカウントも消して、推しが目に入らないようにした。1か月ほど、推しを見ていないし、情報も入ってこない。見たくなる気持ちを抑えて、もう推しの情報を一切入れないようにしている。
わたしにしてはとても頑張れてる。
あっけないもんだなあと思う。わたしがこんなにがんばって離れてみれば推しとの接点はなくなる。ファンがたくさんいる推しにとってはわたし一人がいなくなったところで何のダメージもないのが悔しいなあ。今でもまだこんなに好きで、報われたくて、あんなに必死で追いかけていたのに。
そんなことを考え、バチバチに病み、それでもどうにかこうにか推し断ちを続けていたとき、昨日、久しぶりに推しのSNSを見かけた。好きな作家さんのSNSを覗いていたら、たまたまその作家さんが推しが出ていた舞台の原作のファンだったようで、推しの投稿にいいねをしていた。久々に見る推しの顔。相変わらずお気に入りであろう同じ服ばっか着ていて、ちょっと抜けてる文章で、自撮りするときのいつもの表情で、忙しそうで、元気そうだなと思ったら涙が出た。
推しが好きだ。こんなに好き。ごまかしごまかしで離れようとしていても、顔をみるだけでこんなにくるしくなる。夜に一人で電車で帰る時、友達と歩いている時、おいしいものを食べた時、かわいい服を見つけた時、新しいコスメを買った時。ふとした瞬間に推しの顔がみたくなって推しに会いたくなったしまう。君がここにいてくれたらななんて叶いもしないことを考えてしまう。たくさんのことを話したい。聞きたい。笑った顔がみたい。声が聞きたい。ファンに向けて作った推しでいい、特別な存在に向けるものじゃなくていいから。
元気そうだな、会いたいな、好きだなと思ったら、どうしようもなくなったよって話です。こんなことしないでこんな気持ち知らないでずっと楽しく好きでいたかったな。これからもSNSは見ないよ。追いかけないようにがんばる。できるだけ。でもこんなこと意味あるのかな。会わなくてもこんなに好きなのに。
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